25.行間を補えないやつには、数学の本質はわからない
 いい参考書・悪い参考書という話をする中で、親切な参考書や問題集には、解答が親切という考え方がある。ここ数年で参考書・問題集を取り巻く情勢が大きく変化してきた(その中に我がのサイトから発信してきたことが反映されていると自負している)。多くの議論の中であったことが、「解答が親切なのは本当に良いのか」という議論であった。この話については、受験生にも是非考えてもらいたいと考えている。

 数学は思考力を要する科目である。当然の事ながら、考えながら力をつけていくものである。したがって、あまりにも親切であると、考える必要がなくなり、その結果として、頭の中に論理が残らないという事態が起こってしまう。それが良いのか悪いのか・・・本来的ではないという価値観と、この時代の中では致し方がないという議論が実に様々な場所で展開され、その激論の上、徐々に親切な問題集が増えてきているという現実がある。

 しかし、いまだに「それで良いのか?」と問いかけ続ける人たちもいる。それは多くの場合には、ベテランの先生方であり、そのような先生方は、自分で考えることを大切にするので、教科書傍用の問題集の解答を渡さず、答えの数値だけが書かれている問題の解答のみを手がかりとして問題を解かせている。
 場合によっては、このような環境が抜群に力をつけさせることも私は知っている。この場合には、多くは環境に依存する部分が大きい。学級の多くがその傍用問題集にくらいつき、切磋琢磨しているときには、絶大な効果を発揮する。その問題集に対して、様々な別解を作成し、正しいかどうかを議論する。そのような環境のもとで学習することができたならば、解答が数値だけの学校にいたとしても、相当な力がついていく。事実、一部の学校では未だそのような授業スタイルを通し、大きな実績を上げている。自分で考え、解答を導いていくために必要なことを学んでいくのだ。本来、「数学を学ぶ」とはそういうものである。
 また、その場合には、数学の本質を理解している先生がいるということも不可欠な条件である。多種多様な解答の中で、論理的にどこが間違えているのかを知り、アドバイスできる数学の教員は、残念ながら年々減ってきていると言わざるを得ない。その中で、そういった環境を構築することが難しくなってきている。また、多様な価値観の中で、学校というところにとらわれない世代が出てきている中では、そういう授業を運営すること自体が年々困難になってきている。学習環境として機能しなくなってきている場所が日本のいくつかの場所で報告されている。その状態がどこから出てきてもおかしくないところまで来ているのが残念ではあるが実情だ。

 そこで多くの受験生たちにとって、自学自習の必要性が今後、さらに高まる時代がやってくると確信している。その鍵を握っているのが参考書である。そういう背景の中で、様々な出版社がそれぞれの長所を生かして参考書作りを行っているが、多くの受験生の目は、「いかにして丁寧に解答が書かれているものを選ぶか」というところに目がいってしまっている。
 しかし、もしも、あなたが「本物の参考書」を得たい受験生であるならば、親切丁寧に1行1行書かれているものがよい参考書とは限らないということを言っておきたい。本当に優れた参考書とは、使う人間を適度に考えさせ、その上で本質を理解させることができるものである。

 そのような参考書・問題集とは具体的にどの参考書なのか。

 その答えは、個々が違うわけだから、「これだ」というものは一概には言えないのだと思う。その人のそのときの理解度に対して、異なってくるからである。
 本物を参考書を見つけるためには、単にすべてのことが書かれている参考書ではなく、自分で書かれている内容を熟考すれば、行間を補え、その上で必要なことが書かれているものだということをくれぐれも自覚してほしい。

 もしも、世の中に、行間を補う必要がないくらい丁寧な解答がついている参考書があったとしたら、それはその人にとっては、ひょっとしたら、考える力をつけるという意味では問題がある参考書だといえるのかもしれない。そして、そのような参考書によって学ぶ受験生には、数学の本質を理解するというところからはほど遠いものになってしまだろう。
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