蛇足的概略?
セッションno.9 裏かつ表:パワーバランス。

 前方から歩み来る人物を認めて、鳥羽都はファイルを抱えなおした。社内会議で諮られるプロジェクトの事前資料が、腕の中で乾いた音をたてる。こういった内部調整は本来都の仕事ではないのだが、総勢九人の部署では自然と仕事の分担は曖昧になる。
 それでも、仕事の性質上──物理的にも、それ以外でも──どこか目立たぬように存在する『消費者センター総合管理部』から、『中央』に足を運んだのは久しぶりだった。送りだした上司の顔を思い浮かべつつ、ヒールで変わらぬリズムを刻む。進行方向で待ち受ける人物に対して、都が特に何かを思う必要はなかった。
 随分と近付いたところで、ダークグレイのスーツを纏った男が微かな笑みを浮かべる。都の存在に気付いたことに気付いて欲しい、そんなタイミングだった。都は完璧な会釈で擦れ違う。
「鳥羽君」
 かけられた声に振り向いた先には、誠実な表情があった。常に冴えない印象をあたえる上司──総合管理部主任、神取智契──と比較すると、遥かに有能で頼りになりそうな。
 都が疑問を口にする前に、男が穏やかに笑う。
「異動願は早めに出しておいたほうがいいよ」
 それだけを挨拶のように告げて、男は身を翻す。都の細めた眼には、光を跳ね返したタイピンの残像が残っていた。

 都にとって、SEMPIS 内での主導権争いはどうでもいいことだ。中継点が異なるだけで、シャイアーテックスの為に働いていることに変わりはない。一見、自分の楽しみだけに動いていそうな神取も、業績では人後に落ちない。だからこそ本社側の中心人物である男──営業二課課長、呉田総人──も追い落とし難かったのであろうが。
 そう、事態はすでに過去形だ。夏の事件以降、水面下で動いていたものの結果が呉田の科白で明らかになったにすぎない。賢く立ち回るなら、呉田の忠告に従った方がいいだろう。
 考えて都は苦く思う自分に気がついた。好きになれないのだ、呉田という男が。神取よりよほど真面目にシャイアーテックスに尽くしている男が。より理想の上司像に近いはずであるのに。
 都は自分の感覚を検証する。男を見る眼には自信があった。そして辿り着く相違点。
 神取と呉田、二人に共通するのは揺るがない余裕。けれどもその源が異なるように思う。神取の余裕が、どうしようもないほどの遊び心から生まれるものだとするならば、呉田の余裕から透けて見えるのは選民意識だ。
 どっちもどっちかもしれない。苦笑して都は足を止める。今は、この腕にある重みが全て。
「失礼します」
 隙のない才媛の装いで、何も知らない『人間』に書類を渡すべく扉を開けて。
 ──しかしこの瞬間にも、選択の時は迫っているのだ。


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