02

 大掃除を終えた部屋を見渡して、都築理隆はよしと頷いた。昨年の年末は仕事(バイト)があるのに、悪友の『旧世紀に笑って別れを告げよう週間』に巻き込まれて宴会場にされ、ちょっとした片付けもままならなかった。
 「留守番しててやるぞー遠慮すんなーははははー」とか抜かす酔っ払いを、なんとか追い出したのが最後。年が明け、帰りついたマンションの扉を開けて目前に広がった惨状に、見なかった振りをして布団に潜り込んでしまおうとか本気で考えた。今でも思い出すだけでげんなりする。
 今年そんなスタートを切ったにもかかわらず、壁に掛けられた真新しいカレンダーの先頭には、既に待ち合わせ時刻が書き込まれている。6時間後に迫った新年初日から一緒に出かけるのだから、友情は真に麗しく、同じ穴で紙一重だと言われることになる。
 理隆本人がそれほどでもないと笑って否定しているうちに、実は背後で総てを仕切っている等と囁かれるようになっていた。悪友の情報操作があるにせよ、大学生活約3年の内に積み上げられた都築理隆像は、すっかり拡大再生産ラインに乗ってしまったらしい。弊害も出てきているが結局は自業自得だ。6歳年上の姉に報告でもしようものなら大笑いされるに違いない。
 一昨年は学生時代から付き合っている家族公認の恋人と温泉へ行き、去年は彼の家を訪ねた姉も今年は実家で過ごすらしく、都築家は久し振りに一家全員揃って年越しを迎えることになった。引っぱられて来る恋人も含むので、正確には未来の一家全員集合である。
 理隆は、いい加減義兄さんと呼んでやろうかと人の悪い笑いを浮かべて思いつつ、冷蔵庫からタッパーを取り出した。未だに気を使っておろおろと手土産を用意しようとする恋人に、姉が「何ならおせちの1品でも作れ」と言ったのが発端だが、その後どうしてか理隆も巻き込んで実家で過ごすための条件となった。
 いきさつを電話で伝えきた母は、「お父さんがねえ、『俺は作らないでいいのか』って気にしてるのよぉ」と、とても楽し気に笑い、期待してると締めくくってくれた。常日頃自分勝手に生活している不肖の息子としては、精一杯の努力をするより他にない。
 いきつけのバーの台所の主に借りを1つ増やしてレシピを頂き、時間をかけて作ったのは、おせちのあまり喜ばれない定番、まめで達者での黒豆。あらためて蓋を閉め、ビニール袋の口を縛って、鞄の中に放り込む。
 準備万端整えて、いつもより密度の低い鞄を肩に掛けながら電気を消した。玄関でコートの袖口と皮の手袋の間から腕時計を確認して小さく笑う。
 予定より早い。タリウスに顔を出して、挨拶とお礼を言って ── 今年最後の1杯を飲む時間くらいはあるだろう。

「だー。進まねー」
「予想より混んでやがるな、夜中に集中するものとばかり思ってたが」
「あー今年は例年より人出多いらしいよ」
 海外行く人少ないから。付け加えた理隆の科白を耳にして、悪友その1は根性のない奴等め、と毒づく。じわじわと進む人波の中でも白い息が見えた。
 暗い空は薄曇りの粉雪、時刻は午前7時前、場所は北海道神宮。なんてことはない、ただの初詣である。心根善良たる大半の人物にとっては。
「大体お前がわりぃんだよ。さっさと諦めてりゃよかったんだ」
「何が寂しくて男3人で初詣? とかかなり嫌げに言ってたのは誰。女子誘うっつったらそりゃーもー嬉しそうにしてたのって誰。誰々?」
「うるせ。除夜の鐘から半日も経ってねーんだ、年末とは心根が違うんだよ」
 今にもお互いのマフラーを絞め合いそうな勢いでじゃれている青年男子2名を慈愛に満ちた眼差しで眺めて、理隆は欠伸をかみ殺した。
 実家の酒宴が豪快に長引き、下手に寝ようものなら昼近くまで潰れてしまいそうだった。頼みの目覚まし時計は両親の部屋にしかなく、その部屋からは健やかな寝息といびきがもれていた。結果、現在理隆は眠気と徹夜特有の、外気との間にガーゼ1枚挟んだような感覚にふらふらしていたりする。
 あと5分切ったな。と、悔しそうな声が届いて、万年不機嫌な顔に反して軟派なこの友人はそれよりなにより負けず嫌いなんだよなぁとぼんやり思う。負けず嫌いで完璧主義者で計算魔の企画屋。思いつきを物凄く本気で段取り、実行する。
 そして本年最初の企画名は『日の出の時刻ちょうどに賽銭箱の前に居ようちょっと特別な初詣』。参加者3名、目標達成多分不可能。発案者鳥本巧が「この空じゃ日の出なんて分からないんだからいいじゃん」とか言ってるあたり、企画屋高原明徳も報われない。いつものことではあるのだが。
「あーでもなー。まさか本当に男3人で初詣になるとはなぁっ」
 とほほーと言い出しそうな勢いだが、それでも鳥本は楽しそうに見える。正直理隆もこれはこれでいいのではないかと思う。企画を聞いて、初詣に行ったことがないことに気がついた。高校・大学受験の時も詣でることは頭になかったし、当時はわざわざ込むと分かっている元旦に行くのもどうかと思っていた。
「日夏さんの新春スキーに流れたのかな。でも全員ってことはないだろうし」
 去年の記憶を掘り起こして返せば、2人が揃って驚いた様子で理隆を見る。何それオレ聞いてない行きたいぞ羨ましいぞスキーっと騒ぐ鳥本と、眉を寄せて黙考する高原。ふいに動いたと思えば、理隆のマフラーに両手がかかっていた。
「絞めていいか?」
「……罪状を述べよ」
「察しが悪いな。らしくない」
 高原の指先が理隆の縁なし眼鏡のブリッジを弾く。陰険な笑顔に据えられた視界が跳ねた。
「お前何て言って断った」
 横で鳥本があーあー言っている。一人分かっていない状況が滅多にないだけに悔しい。
「いや正直に『正月は家族と過ごしますから』って」
「なんでそこでオレ達の企画ありますからって断らないっ」
 楽しそうにしていても新年からフラれまくった恨みがあるらしい鳥本の、憤然とした言葉に推測課程の正しさを認められてもそこから先に断線がある。日夏先輩から自分の予定が流れたとして、だからどうした。
「皆が俺が来ないかもしれないって思ったことは分かるけど、それがどうして不参加になるんだ?」
 鳥本が嫌そうな顔に、高原がより嫌そうな顔になる。仲いいなぁコイツら、と今更ながら理隆は思った。あーとかうーとか鳥本が唸り、高原は遥か彼方を見たあとに、けっと力一杯吐き捨てる。
「懲りたんだよ。一昨年の年末で」
「みんな分かったんだよな。多少腹が立とうとも、正気を保ってる奴が必要だってさ……」
 具体的に何があったのか聞き出すのは、武士の情けでやめておく。去年の自分の部屋の惨状も悪夢だったのだから、ざまあみろと思わないでもない。むしろ憂慮すべきなのは、企画が初詣で終らないと刷り込まれている点ではなかろうか。
 結論が出たところで理隆がマフラーにかかった手を指差す。やっぱり絞めとこう、と理隆の期待とは逆の動きをした手が止まり、高原は目を細める。
「お前顔色悪いぞ。実は調子悪い?」
「無茶苦茶眠い。あとちょっと人にあたったかも」
 揃って理隆の繊細さに疑問を投げ掛ける眼差しを送ってくるので、溜息をついて視線を前へとやった。視線が座ってると指摘しながら、鳥本が目の前で手を振る。
「いや、2時の方向の着物のお姉さんのおくれ毛が色っぽいなぁって」
「ピンポイントがだその意見は同意だ。2時の方向だな」
 不思議な勢いで首をまわして、高原はぶつぶつ初ナンパの計画をたて始める。あっちの子はーっと鳥本が指差したり、そういったノリの良さを何だかありがたく思ったりして。
 時計に目を落とせば、日の出まであと1分。

 ── 人波。男3人で来ているのもいれば、女の子だけで、恋人同士で、家族連れで来ている人々も居て、この場所でこの時間を共有している。
 そういえば、端山さんは年末から正月どう過ごすか何も言ってなかったなぁと思う。彼の姉たるいきつけのバーの台所の主は、もう1人の弟分とその御主人様におせちを届けるために店を出ていて、顔を見ることが出来なかった。しばらく会っていないことが気になるのは、自分が、久し振りに家族で笑い合ったからだろうか。
 特別なことじゃないのかもしれない。特別な日ではないのかもしれない。会おうと思えば次の年でもその次の年でもいつだって会えるのだから。
 自分だけなのかもしれない。信心深くもない癖にこうしてじりじりと神前に向って、どこまでも現実的な突っ込みのキツいウエイトレスに、非生産的ですと言われそうなことが、贅沢だと、他愛もなく嬉しく感じるのは。
 冗談にして問い掛けたら、1年前の風の強い秋の日に期限を認めてみせたバーマスターは何と答えるだろう。
 ── 人波。人にあたったというのは嘘じゃない。こうして押しつ押されつして進んでいく人々が、程度の差こそあれ何かを信じ、願いを神の前に曝すのだと考えるとふるえが起こる。
 大抵の人にとっては、何が大切なのか何がしたいのかを確認する作業でしかないだろう。けれど、想いによって生まれる存在を知ってしまった自分は。
 利用出来るものは利用しようと、可能性なんて低いものだと嘯いてみせる一方で、身の内にある誓いがけして聞き届けらないようにと頑に願っている。
 何頼むー都築? と鳥本が聞くから、つられるように笑って。
「来年も再来年も同じ面子で初詣に来れますように、かな」
 じゃあオレは同じ面子だけじゃありませんよーにだなーなぁ高原もそうだろ。と、同意を求められた相手は爪で腕時計の文字盤を叩いて見せた。
 あと5秒。賽銭箱の前まで、約15メートル。高原がカウントを取る。4。
 ── 間に合わないと知っていても歩いている。
 3。鳥本が声をあわせる。
 ── 流されているだけではなくて。
 2。3人で1つの時計に頭を寄せて。
 ── こうして、前へ。
 1。


 秒針が12を指す、午前7時6分。目指していた神の目前はすぐ傍、けれど届いてはいないその位置で。ミレニアムが遠のき世紀の狭間を乗り越えて、何かの始まりでも終わりでもない2002年の朝が、劇的な変化もないままに訪れる。


......Fade out.



*あとがきのようなもの*