cureless1/3

 彼女はいつでも、一番前にいた。
 そんなに目立ってるわけでもなかった。ヴィジュアル系特有の熱狂的なファンに比べればむしろ地味で、ノッてる風もなくただじっと、こっちをみていた。だから、最初は何だか気味悪さまで感じた。
 でも、いつからだろう、彼女がいることが当たり前に感じるようになったのは……。
 今日も、彼女は来ていた。何で来てるのか、それは相変わらずわからない。目があったりしたけど、彼女はこっちを見ているだけで。LUCIE LARC'ENのヴォーカルの『hato』は、彼女を何も知らない… 知る術もない。だって僕は『hato』だ、これから世界を制する(はずの)LUCIE LARC'ENの未来のために、そんなことできない。
「ありがとな! また俺の歌を聴きにこいッ!」
 答えてくれる絶叫の中に、彼女が浮いていた。僕たちはその声を背中に、ステージを降りる。ちょっと前は、会場を借りたりできなかった。僕達も随分大きくなった気がする。
 彼女は、いつからいたっけ……?
 歓声がいつのまにか遠くなる。
「おい、龍!」
 いきなり、背中をどつかれた。ここで、僕の本名(?)を知っているのは、あまりいない。
「……え?」
「何ボケてるんだよ、今日も良かったな!」
 ギターのyasuだった。かなり濃い化粧だ…まあ、それは僕も同じか。
「そりゃね、僕が歌えば、何でもよくなるさ。靖の曲も良いけどね」
 そう、彼の曲は、その辺のメジャーバンドに比べたって遜色はないはずだ。でも、ヴォーカルの実力がないとそれも活かされないけど。
「おまえ、相変わらずだな〜。そろそろやめたら? 僕って、がっかりするぞ、ファンが聞いたら」
 横からベースのsiroが乱入する。
「別にいいだろ、僕の勝手だ。ステージ上ではちゃんと格好つけてるんだし」
 siroが軽く肩をすくめたその横を、ギターのhisajiが歩いていく。
 そんなことを言いながら、普通のにいちゃんに戻った僕らは控え室もどきに入った。そんなに長くいられるわけでもないんだけど、とりあえずパイプ椅子に腰を下ろす。今日は休憩なしだったから、ここでみんなどっと疲れが出たみたいだ。おっさん臭くうめいたりしている、その様子を見ても、ファンはがっかりすると思う。
 僕…僕は、実はあまり疲れていない。それは僕が人間じゃないから。だけど、メンバーはそんな事知らないから、それなりに疲れたように装っている。ヴィジュアル系バンドをやってれば、演技力も自然と身につくってものだ。
「今日の反省は、明日のミーティングで。俺もう疲れたわ〜、もの考える体力残ってない」
「でも、明日もバイトだ」
「うお〜! それを言うな!」
 そんな会話を背中に、僕はさっさと濃い化粧を落とすことにする。『hato』は、ステージ上だけの姿だ。降りたら僕は長谷川龍になる、もっとも、それすら真実ではないのだけど…。
「じゃあ、今日はもうお疲れ様? 打ち上げは行かないよ、お金ないもん」
「今日はもうそんな体力ないって。でもな、龍」
 yasuはそう言いながら、机の上に紙の束を置いた。僕が手早く洗顔を終えて振りかえると、それは楽譜だった。
「詞。すみやかに書いてくれると、次で新曲が歌えるぞう」
 yasuは僕と入れ替わりに洗面台にくっついた。
「うう…わかったよ。でも、僕じゃなくてもいいじゃないかぁ」
 僕は他の2人に救いを求めたが、2人ともあらぬ方を向いている。…まあ仕方ない。僕の詞なら、ファンも満足だろう。ネタはないけど。
「龍に声かけてよかったよ、これはお世辞じゃないぜ。おまえがいなかったら、今ルシアはなかったもの」
 siroが言う。今聞くとお世辞のように聞こえなくもないけど、それでも嬉しい言葉だ。ここなら、僕を認めてくれる。本当の僕じゃなくても、認めてくれる人と喜んでくれる人がいるなら、僕はそれでかまわないんだ…。
 僕はそんな事は顔に出さずに、肩をすくめた。
「…まあね。僕も、今が一番楽しいよ」



 その後、僕らは持ちこみの楽器や衣装を片付け、ライブハウスの入り口のところで別れた。明日のミーティングは、僕のマンションですることにして、今日はとにかく休もうという事だ。
 ステージを降りて、あの歓声が聞こえなくなったとき、僕は現実に帰らされる。あの心地よい時間は長くは続かない。知っている、現実の風の冷たさ。
 札幌にはこんなに人がいるのに、僕を知っている人はいない。
 あまり覚えていない彼女の事を、なぜか僕は思っていた。
 …そう、僕はきっと淋しかったんだろう。ずっと認めたくはなかったけど、それは真実らしい。だからここへ来た。僕の生まれた場所に比べたら札幌の空は随分と淀んでいて、太陽の光も弱くなっているような気もするけど、それでも僕はここへ来た。それはきっと淋しかったからだ。
 僕はヒトの想いから生まれた存在だ。だからヒトの想いに惹かれるんだろう。
 ヒトに喚ばれ、この力で「光」を運ぶ、白金龍(バハムート)はそんな存在だ。
きっとこの世界に龍族はたくさんいるんだろうけど、僕は一番新しい、ゲーム世代の存在で。他の龍族のような伝統も格式も、僕にはない。
 それでもここにいたら、生まれてきたわけを見つけられるかもしれない…。
 こんなに多くのヒトがいる街の、至る所にかかっている音楽。僕はそれに惹かれた。何故って、そこには人の想いがあふれているから。伝えたい何かは音と詞になって、ヒトの心に響く音楽になる。
 僕は世界を変えられはしないだろう。でも、音楽でなら、ヒトの心を変えられるような…「光」を運べるような気がした。
 ともかく、僕はそういうわけで音楽に染まっていって…今の仲間と知り合ってここまでやってきた。大変なことも多かったけど、それでも楽しかった。LUCIELARC'ENもこんなに大きくなった。そう、僕はhatoの時が一番、楽しいんだ。
 応えるべき召喚主(マスター)を見つけられない光龍の時よりも。

 春の大通公園は、まだ肌寒い。噴水もまだない公園のベンチの上で、僕は楽譜と睨みあっている。夏になれば人だらけになる大通公園も、この時期は歩き過ぎていく人のほうが多いだろう。そんな名かで、ずっとベンチを占領している僕は…ちょっと怪しいのかもしれない。でも、何分そういう体質なので仕方がない。
 僕は日光浴が好きだ。というか、日光がないと生きられない。光の力を統べるはずのバハムートだけれど、僕はまだ、光に依存して生きている。まあ、札幌には梅雨がないから、別に困るような事もない。
 僕が格闘している楽譜は、この前yasuが詞を書け! とよこしたものだ。詞を書いてから曲を作ってくれればいいようなものだが、そんな文句も言えないだろう。ずっと睨んでいて、どんな曲かはイメージできるんだけど…テーマが決まらないんだよなあ。それが決まってしまえば、僕の場合なんとかなることが多い。
「参ったなあ…そろそろ新曲出した方がいいしなあ」
 浮かばない時というものはあるものだ。相変わらず怪しく呟きながら、頭の隅から言葉を絞るように考える。考えて出てくるものでもないけど……。
 こんな時は、目の前を通り過ぎていく人が何だか羨ましく思えるものだ。あ、何か変な着流しの男が歩いてる。いいなあ、詞を考える必要なさそうで。
「…hatoさん?」
 しまりのない表情になっていただろう僕は、その時本当に飛び上がった。まさかこんなところで、そう呼ばれるとは思わなかったからだ。LUCIE LARC'ENはインディーズでは知られているとは言っても、まだまだ知らない人が多い。ただでさえ、似たような名前の似たようなヴィジュアル系が流行ってる時代だ。それに、今の僕は素顔で…わかるはずないとたかをくくっていたのに…ああ、詞が浮かばないときに限ってバレるんだな。スターの辛いところだ。
「な、何のことかな……あ?」
 とりあえず誤魔化して逃げようと思っていた僕は、その声の主を見上げて言葉を忘れた。
 前に立って僕を見下ろしている、それはあの彼女だったからだ…。
「やっぱり。大通でよくひなたぼっこしてる人がhatoさんに似てるって、会場で聞いたんです」
 そ、そんな…今度は豊平川にしようかな…。
「い、いやあ、俺は」
 彼女は、何か嬉しそうに微笑んでいる。ステージの上からでは見たことない表情だった。彼女、普通に笑えるんだ。
「hatoさん、普段声低いんですね。それにちょっと若く見えます」
「うっ…だから、その…」
 僕の頭は言い逃れの言葉を考えるよりも、彼女を見ることを選んでしまったようだった。顔はよく憶えていなかったが、こうして見ると美人だと思う。肩より少し長い髪で、耳の上あたりからゆるいウェーブをかけている。藤色のロングスカートが似合っていた。いまどき珍しいタイプかもしれない。
 僕はあっさり、誤魔化すのを諦めた。今すぐ傍にいる、彼女と離れてしまうのは惜しい気がした。これは偶然で、偶然出会ったファンと少々話してもどうということはないだろう。自分に対する言い訳だと、わかってはいたけれども。
「ま、まあ、座れよ。立ってるのもなんだろ?」
 僕は『hato』の口調になって、ベンチの隣を空けた。彼女は僕の隣に座り、僕の膝の上の紙束に気づいたようだった。
「それ、何の曲ですか?」
「…新曲の予定。といっても、まだ詞をつけてないんだ。浮かばないときもあるのさ」
「じゃあ、見ちゃいけませんね。楽しみが減っちゃう」
 彼女は視線を正面に戻す。そのまま彼女の横顔を見ているのはばつが悪いので、僕は楽譜に目を落とした。もちろん、見てはいない。
 彼女は、楽しんでいたのか? でもそれなら何故、今のような笑顔を見せなかったのだろう…。
「君、いつも見に来てくれてるよな。名前、聞いてもいいか?」
 僕はとりあえずそう言った。彼女は…少し迷ったのか、しばらく沈黙していた。
「…私の事、見ててくれたんですね」
「そりゃあ、前からのファンは大事にするよ。まだファンも少ないからな、顔は憶えやすい」
 実際はそうでもない。彼女の顔も、ここで逢うまでははっきり憶えていなかった。
 彼女は、微笑んだ。それはどこか寂しげな、この春の陽射しにはそぐわない笑み。僕にはその意味なんてわからないけど、その寂しさがこっちに伝わってきたような、小さな痛みのようなものは感じた。
「嬉しいです。…私は、あやね」
「あやね?」
「彩る、音って書いて彩音っていいます。村上彩音です」
「彩音…綺麗な名前だね」
 僕は素直に言う。彼女はお世辞たとでも思ったかもしれない、小首を傾げただけだった。何か言い足しても彼女に正しく伝わらないような気がして、それ以上の事は言わない。彼女が黙ったままで、僕は何とも居づらい気分になった。傍から見れば、別れ話をしているカップルみたいだ。…カップル。
 僕はますます落ちつかなくなって、あちこち見まわしたり頭を掻いたり、でもそこから立ち去る事はできなかった。
 どのくらいの沈黙が続いたかわからないが、彼女が不意に呟いた。
「hatoさんの…歌が好きなんです」
「…え?」
 彼女がまっすぐにこっちを見つめてくる。見つめ返すのも照れくさいけど、僕は彼女のどこか寂しげな瞳を覗きこんだ。
 周りのあらゆる音が消えた気がした。
「hatoさんの歌、いつも心の中にあります。その声が聴きたくていつも行ってるんです。hatoさんの歌を聴いてると、辛い事を忘れていられるから…歌が、現実の世界のように思えるから。ごめんなさい、こんな事聞きたくありませんよね」
 僕は…黙ってかぶりを振った。それしかできなかったんだ。ステージに立っていると、いろんな歓声が飛んでくるけど、そんな言葉を聞いたのは、思えば初めてのような気がする。僕の歌が、誰かの心の中に存在しているということ…「光」をもたらすということ…。
「また、聴きに行ってもいいですか?」
 彼女は遠慮するように尋ねてきた。何を遠慮するというのだろう。
「もちろん。俺たちのこと、そんなに思ってくれる人がいるなんて思ってなかった。俺の歌が好きなら、いつでも聴きに来てくれよ」
 一人のファンに対する言葉にしか、聞こえないだろうことが悔しい。
「ありがとう…。お邪魔ですね私。詞、頑張って下さい。新曲楽しみにしてます」
 彼女は心底嬉しそうだ。でも、何か予定があるのか急に立ちあがって頭を下げてきた。このまま彼女が去っていったら、僕はきっと後悔するだろう。理由はよくわからないが、そう感じたのは確かで。
 僕は思わず立ちあがった。膝の上の楽譜がばさばさとこぼれていく。
「ま、待って」
 それはおそらく、hatoの態度ではないけれど…。
「…また、会えるかな? その…ライブでじゃなくて…」
 彼女は肩越しに驚いたような顔をしていたが、体ごと向き直って笑顔で頷いた。
「私もひなたぼっこが好きです」
 彼女はもう一度会釈して、今度は離れていった。僕は手を振ろうとしてできなくて、持て余した手を頭に持っていった。
 彼女の小柄な体が、大通の人ごみに消えていく。でも、これが最初で最後ではない…約束とも言えない、あまりにも頼りないその言葉になぜか僕は安堵していた。今日ここに着たのが他のファンでも、同じようにしただろうか? 僕は…何をしてるんだろう?
 ただひとつ、動かない思いはある。
 優しく一瞬で過ぎ去った彩音。
 もっと、君の事が知りたい。

「なんか、詞の感じ変わったなあ。龍」
「そうかな?」
「ま…この時間でこのできはさすがだ。曲名は決めた?」
「曲名ね、…summer riseでどう?」
「OK,OK、細かい調整しなきゃならないけど、来月には間に合いそうだな。いつもご苦労さん、龍」
「靖も、いつもいい曲ありがとう」
 なかなか浮かばなかった詞は、あれからあっさり書けた。
 多分、彼女のおかげなのだろう。
 この曲は、誰より彼女に聞かせたい。彼女の心に残るような曲を、そう思って書いたんだ。そんなことは、メンバーには言えないけれど…。
「それじゃ、あとはおまえの仕事な。編曲終わったら電話してよ、練習行くから」
「あれ、もう帰るの? 何か予定でもあるのか、珍しい」
「うん…まあね、大通公園に」
「はあ?」
 僕はそれ以上の追及をかわすように、靖のアパートを出た。



 僕と彼女はそれから何度か会って(いつも大通公園にいるのは、なかなか辛かった)色々話 をした。彼女も以前は音楽をやっていて、それでLUCIE LARC'ENのことを知ったらしい。僕達 の音楽については色々と誉め言葉をもらって、結構嬉しかった。
 僕も、自分の本名やこれまでの経緯を話した。hatoでない僕を、彼女に知ってもらいたかったんだ。でも、『真実』の過去なんて、あまり僕にはない…。
 彼女は僕のことを、龍と呼んでくれるようになった。(というか、僕が頼んだ)それは何か特別なことのようで…でも、よくわからない。僕がどうしてこんなに彼女にこだわろうとするのか、自分でも理由はわからない。
 彼女が何か『特別』であることは、確からしかった。
 でも、僕は彼女のことを何も知らないかもしれない。時折見せる辛そうな表情の意味も、ライブで笑わないわけも、彼女の現在も。僕にもっと経験があれば、彼女の翳りに気圧されることもなかったかもしれないけれど。
 もっとも、それでいいのかもしれない。僕はヒトではないのだから…とても寂しい気はするけど。
 そして、今も…。
「しめは本邦初公開、summer rise! 俺の歌を聴けェェェェッ!」
 演奏の始まりと歓声が重なる。その歓声は、この場の全てを何かのエネルギーに変えてしまうような力を持っている。僕もなんだか説明のつかないハイテンションで、けれども1人だけを『見て』いた。その場に一人浮いたように立ち尽くした彩音を。
 新曲の詳細は、一切言っていない。
 歌に疲れた喉で、自分の書いたメッセージを曲に乗せる。僕は視界の隅の彼女の向かって歌う。彼女の反応は相変わらずだったけれど、それも見慣れたことだ。また会えたら、そのときに感想を聞こう。そう、僕と彼女にはそれがある。きっと、また会えるから…。
 皆は、調子を取りながら新曲に真剣に聞き入っている。歌詞カードがあるわけではないから憶えるのはなかなか大変だろう。皆も僕達のために、わざわざ時間を使ってくれる。そんな皆に僕なんかは、歌でしか応えられない。せめていい歌を聴かせること。
 彼女の姿は、視界から消えなくとも。 
 僕は腕を振り上げた。siroとhisajiがステージ際まで進んで、また歓声が起こる。
「鈍色に沈んでも 陽はいつか現れる
 凍りついた想いにも 春はいつか訪れる…」
 顔を伏せるのは、一種の演出だ。一つ息をついた。暑さが今は心地いい。床に落ちた汗が、何となく見える…。
 その長い一瞬の後の歓声と、僕やメンバーの名前を呼ぶ声に僕は再び顔を上げた。
 彼女の驚いたような顔が見えた。僕はその時、はっきり彼女を見て笑った。
「thank you! また来てくれよな!」
 僕は彼女から視線を外し、歓声に応える。なんだか今日は熱狂ぶりが違う気がした。



「いいじゃん、新曲! 俺もらったときからいいと思ってたんだよなあ」
「まあね、僕の詞だから」
 メンバーは(もちろん僕もだけど)今日のライブに随分手応えを感じたらしい。条件によっては、あまりノらなかったりすることもある。でも今日のは、終わった後の疲れさえも満足できるような、そんなライブだった。それが全部新曲の影響ではないし、大体僕は詞を書いただけだ。
 でも、僕の思いを込めた詞だったんだ…。
「やっぱり龍、詞の雰囲気変わったよ。何かこう、あまりリアリティなかったじゃん。何かあったのか?」
 会場から帰る途中、yasuが訊いてくる。
 そうだろう、僕には決定的に経験が不足している。経験もしたことのない思いを詞にするのは、どうしても無理がある。あまり想像力にも自信がない。だから、リアリティのある詞が書けるわけはなかったんだ。
「そんな、何もないよ」
「でも、いつもより大通公園に通ってるだろ? 調べはついてるぜ」
「いや…それは…その」
「言うな言うな、わかってるぞう。恋人が出来たんだろう」
 siroが半分本気で冗談めかす。
 僕は…冗談ではなかった。
「…コイビト? コイ…コイ? これが…」
 突然立ち止まっておかしなことを言い始めた僕を、メンバーが振り返る。
「おい、龍?」
 …恋…そうなのかもしれない…でも?
 言われるまでわからなかったが、よく考えれば確かに僕の今の気持ちは『恋』に似ている。僕がよくわからなかった思い。そう言われれば、恋の詞がすんなり書けるのも…経験があるからなのか。
 彩音が僕にとっての『特別な何か』であること。僕は彩音に恋してるのだろうか…でも…。
「龍!」
「え? ああ、ごめん…何か…混乱しちゃって、よくわからないんだ。僕は恋をしてるのか? あんな、遠い人に…」
 siroに言ってもわかるはずはないのに。彼は案の定、眉をひそめて僕の顔を覗きこんだ。
「大丈夫か、おまえ? そんなに重症か?」
「いや、いいんだ。気にしないで…。!?」
 何かの視線を背中に感じて、僕は振り向く。夜の闇の中、猫の目のような光が見えた気がしたけれど…それだけだった。どうも、本当におかしくなっているらしい。
「何か僕、疲れてるみたい…ごめん、今日は帰るよ。明日は行くから」
 今の僕の様子を見ていたメンバーは、それを疑いはしなかったようだ。
「そうだな、早く休んだ方がいいぞ。アーティストは体が資本だから」
 yasuが背中を叩く。その温もりが、人の温もりが嬉しかった。とりあえず地下鉄までは一緒なので、そのまま歩いていく。

 その、夜の闇の中に…。
「どうやった? あれ」
「う〜ん、お仲間みたいだね。でも見たことない顔だな、本州のネットワークの人?」
「どうやろな、この件に関わっとんのは、俺らだけやないんか? 本当に関係ないかもしれへんし。…まあ、マスターにでも訊いとこか」
「彼、こっちに気づいたよね。なかなか面白そうじゃニャい」
「…あんまり面倒ごと持ちこむなや、永。俺だって締め切り近いんやで。こういうことは、暇そうな『紙』にでも任しときたいところやけど、あいつ目立ちおるし」
「ぼやかニャい、ぼやかニャい。んじゃ、戻ろ」
 猫と、それと(日本語で)話している何かがいたことに僕は気づいていなかった。


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