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          黄斑円孔治療 私の場合

入院まで

真ん中の字が見えない!
 02年2月7日午後6時頃

 私はその時、右手で頬杖をついて文庫本を読んでいた。普段はそんな姿勢で本を読むことはないが、高1の晴美ちゃんに英文法の問題をやらせている間のちょっとした内職だった。その時、目はほとんど左しか使っていなかったと思う。文字が1字消えているのに気がついた。頬杖をやめて両目で見るとちゃんと見える。今度は左目だけで見てみた。見えない。視点の中心の1字だけがぽっかり消えていた。

弱り目にたたり目?

前年秋、行事が重なり過労気味、ちょっとした風邪がきっかけでここ5年以上忘れていた気管支拡張症の発作を2度も起こしてしまった。これは久しぶりだったので相当こたえた。ここ5、6年間の健康生活のツケがこの2ヶ月間にどっとまわってきたようで、私には珍しく(もう年だあ)と弱気になってしまった。

 そして年末、例年のように2〜3週間、南の島で休養し、帰国後、元気で新年と厳冬を迎えるはずであった。しかし今回は少しも休養にはならなかった。私達はテロを恐れて、一番安全そうなタイへ初めて出かけたのだが、珍しいことばかりで、あちこち見て歩くのに忙しく、疲れを解消しないまま戻ってきたのだ。それで万全の体調とは言い難い状態で新年を迎えることになった。

 今年に入って本を読む時、少し両目のバランスが悪いような気がしてそろそろ老眼鏡を換えなければと思っていた矢先のことであった。

黄斑に小さな孔、そして右目の網膜にも裂孔

 2月12日、連休が明けるや朝早く地元の労災病院に駆けつけた。眼科はひどく混んでいたが、先生は時間をかけて丁寧に診てくれた。その結果、左目の黄斑に小さな孔が開いていて、その上、右目の網膜にも裂孔があるとのこと。その裂孔の方はぜんぜん自覚症状がなかった。

 右目はもともとあまりよくなかったが、左目のほうは遠目がよくきく自慢の目だったのに視力検査ではほとんど見えず、0.1になっていたのには大ショック。

 翌2月13日、同じ病院で緑内障の検査をし、異常がないとのこと。そのあと右目の裂孔の光凝固による治療を受けた。左目の方はこの病院では治療できないとのことで、旭川医大付属病院に紹介状を書いてくれた。孔はまだ小さくて手術もしやすいので出来るだけ早く医大に行くようにと勧められた。

黄色い不気味なもの
 
 初診の日の夕方から左目に奇妙なものが見えるようになった。2、3mmの大きさの逆三角形の黄色いものが視点の少し左上に見える。労災病院でなんらかの処置をしたせいなのか先生にお聞きしたが何もしていないとのこと。それは手術まで2ヶ月あまりずっと私をいらいらさせた。

旭川医大付属病院で検査

2月15日、労災病院の初診から4日目に旭川医大に出かけた。あちこちの検査室を廻り、やっと終わったとほっとしていると、これからが本格的な検査だと言われてびっくり。黄色い液の点滴を引きずりながらの検査もあり、結局4時間もかかった。その結果、労災病院の診断通りとのこと。先生の一人に手術によっても進行を止めるだけで視力は回復しないかもしれないと言われ、しょんぼり。しかしもう一人の先生にはもしかして0.3、うまくいくと0.5位になるかもしれないと言われ、ちょっと気を取り直した。採血し、入院の手続きを済ませ帰宅。


入院・手術


やっと入院

待機時間が長かったので入院の連絡がきた時ほっとした。

4月22日、旭川医大付属病院眼科に入院。翌日手術なのでそれからが忙しかった。
まず主治医の先生の診察と説明。看護師さんの説明、うつぶせの練習、心電図、胸部X線検査、視力、眼圧などの検査。更に夕食後、先生方の説明。

夜は若い先生方3人が部屋に来られて涙の管を洗浄、まつげをカット。夜、入浴、洗髪、爪切り。マニキュアもダメとのこと、私はうっかり落としてこなかったが、除光液は持っていたので夜のうちに落とした。

10年前には治らなかった

 主治医の先生のお話によると、この病気は、網膜の中心の一番視力を司る黄斑というところに孔があく病気で、患者は50才以上の女性が多いとのこと。

 この黄斑円孔の手術は10年前から行われるようになったそうで、それ以前は治療法はなかったとのこと。10年前でなくてよかったとつくづく思う。私達の知らないところで沢山の方々が日夜このような研究に励んでいるのだ。いくら感謝しても感謝しきれない。

えっ、白内障の手術も?

 主治医の先生の説明の時、同時に白内障の手術もしておいたらと勧められた。白内障なんて思いもよらなかったので驚いた。60歳以上の人はこの手術の2年後、ほとんど全員、白内障の手術が必要になるとのこと。今回の手術中なら10分間で済むそうである。

でも、まだ濁っていない水晶体を自分の都合で取ってしまうなんて、なんだか水晶体に申し訳なくて思い悩んだ。明日の手術までに決めればいいと言われ、夜、ずっと考え込んだが2年後の自分の体力と残された時間を考えてようやくこの手術も受けることに決めた。
 砕いてしまった水晶体のことを思うと今でも少し胸が痛む。

手術直前

 前夜の連絡で午後の予定だった手術が朝9時に変更になった。朝から忙しい。6時以降、飲食はダメ。洗顔の後はお化粧もダメ。化粧水程度はいいようだが、私は何もつけなかった。目薬をさし、点滴。眼鏡をはずす。私はつけていなかったが、指輪、ヘアピン、腕時計、入れ歯もはずすとのこと。トイレも忘れずに。 最後に筋肉注射。これは緊張と痛みを和らげるためのもの。そして車椅子で手術室へ。この頃になると注射が効いてきていい気分になる。

いよいよ手術

 手術室のそばの小部屋で着替え、手術室へ。手術台に横たわった時には完全に注射が効いて、雲の上に乗ったようなふわふわした気分。ほろ酔い気分よりももっといい感じだ。局所麻酔なので意識はあるが、眠くて仕方がない。はじめはさすがに緊張で肩の辺りが固まったが、そのうち、うとうとし、グァーという自分のいびきにはっとする。先生の呼びかけも「ハイ、右むいてヨーン」とのどかなお声で、思わずニヤッとしそうになる。
 こんなリラックスした気分なので、時々チクチクするが痛みはあまり感じない。先生方のひそひそ声に聞き耳をたて、今何をしているのかしらと、あれこれ想像しながら手術室のベッドの上での2時間が過ぎた。手術中、どんなことをするのか興味があったし、手術に関しては全面的に先生方を信頼していたので、恐怖心は少しも起こらなかった。

 手術台から車椅子に降りると、立ち会った先生方が並んで私に[お疲れ様でした」と挨拶され、一瞬どぎまぎする。こちらこそ先に言わなければならないのにと恐縮してしまった。

 車椅子で病室に戻る時はおなかがぺこぺこだった。


手術後から退院まで

 それから2日間、1日1回化膿止めの点滴。そのあとは3日間、化膿止めの薬、薬剤師さんが来て丁寧に説明。

うつぶせ

 目に入れたガスが手術の痕をしっかりと押さえるようにするため、1週間ほどうつぶせで過ごさなければならない。手術前に説明のプリントを読み、うつぶせの練習をした。手術が終わって病室に戻ると早速うつぶせの生活が始まった。ベッドのマットを後にずらし、おでこの下に細長いマットを置いた。つまり、目からあごまでの下は溝になっていて低い鼻でもつぶれない。
 私はおでこの中心だけに重力がかからないように、そして頭がぐらりと横にならないように、おでこの両側にタオルを筒状に巻いて当てた。翌日、夫に頼んで、横すわりのとき腰の下にはさむ腰痛防止用の腰枕を2つ持ってきてもらった。これは友人からの手作りのプレゼント。そば殻入りでベビー枕としても使えるものである。これを巻きタオルの代わりに額の両側に置くととても具合が良かった。


 看護婦さんはベッドのテーブルにも枕をくくりつけて、体を起こした時もうつぶせで過ごせるようセットしてくれた。うつぶせの姿勢では顔がむくむのでアイスノンが用意され、胸部に汗をかくので毎日病衣を取り替えてもらった。また体が痛くならないよう、毎日マッサージ、これはとても上手で、腰痛もたちどころに回復した。
 
 うつぶせは一見大変そうだが、音楽を集中して聴くには絶好の環境であると思う。私は小さなCDプレイヤー、ウオークマン、ラジオを用意したがとても役に立ち、楽しく過ごすことが出来た。ただしラジオは小さすぎて単4の電池はすぐ切れたので、単3入りのにしたら良かったのにと思っている。音楽は意外にもBGM系や癒し系はもの足りなかった。私が気に入ったものはもっと迫力があって音楽の真髄に迫るようなもの、音色の美しいもの、楽しいリズムのものなどであった。

23日に始まったうつぶせは27日に終った。1週間以上と言われていたのに5日間ですんだ。翌日、看護婦さんがていねいに洗髪してくれた。

角綿がとれた

 うつぶせが終わる前日(26日)、目を覆っていた角綿がとれた。視界の2/3は円形のガスで覆われ、その周囲しか見えない。この黒く見える円形のガスは日を追って小さくなっていく。眼球内の硝子体が新しく出来るにつれてガスが排出されていくとのこと。ガスは日増しに小さくなり、退院の直前にはビー玉くらいになり間もなく消えた。

真ん中の字が読める!

29日、ガスの円形が小さくなってきたので、手元のプリントを上にかざしてみた。真ん中の字も薄れてはいるが読めた。それにあの黄色い不気味なものも見えなくなっていた。うれしかった。この日、初めて入浴、洗髪。

退院に向けて

5月2日、薬剤師さんから目薬の説明。
   3日、回診で退院後の注意などを聞いたあと、視力検査。
0.5になっていた!視力は更にこのあとの5ヶ月間でも徐々に回復していくそうである。

次に眼底の血流の検査。これは血圧、心電図をとりながら眼底を調べるので、視点をじっと固定するのが大変、結構時間がかかった。結果は細いながらもちゃんと流れているとのこと。

検査室から出る時、手術前と手術後の眼球の写真を渡された。あいていた孔がふさがっているとの説明だが、よく見えない。帰宅後、虫眼鏡で見たらよく分かった。こんな小さな孔が・・・といまさらながら驚いた

退院 54日、

ルームメートやすっかり仲良くなった隣室の人達と別れを惜しみ、夫のデジカメで記念撮影。連休中で病棟には先生も看護師さん達もほとんど見えず、お礼のご挨拶も出来ないで退院。外は春雨。遠い国の長旅から戻った心地である。治った目で見る山あいのこぶしの花はひとしお見事であった。


退院後


仕事再開  5月8日

 高校生は中間試験が迫っているので、遅れを取り戻すために早速レッスン再開。仕事の喜びを感じる。次の週から中学生も始める。我家は久しぶりに賑やかになった。

退院後初めての検診 522日 

順調に回復しているとのこと。視力は0.6に。水泳も山歩きもOK。検診後、然別湖へ出かけ、やっと芽吹いたばかりの湖畔を散策した。

2ヶ月目の検診 6月24日

 今日の検診で嬉しいことが3つあった。

  @ 視力が0.8まで回復!

  A 網膜の断層検査で孔が完全に塞がっていることがわかった 

  B 私の場合右目に黄斑円孔が起きる可能性がないとのこと
(右目にも起こるのではないかと心配していたが、すでに後部の硝子体が網膜から剥がれているので黄斑部は引っ張られていないとのこと)
      

 嬉しくて帰りに白金温泉、美瑛、富良野をドライブした。

4ヶ月目の検診 8月19日

 視力はなんと1.0に! 今後は3カ月おきの検診となる。


少々揺れますが
   6月30日現在

 右目を閉じて左目だけで字を見ると、一瞬、クラッとする。これは視点のごく一部がゆがんだり薄れていて、視線のかすかな動きにその部分が揺れるからだと思う。手術前は文庫本でいうと1字分まるまる見えなかったのでそんなことは感じなかった。

字を見る時、見えにくい部分はいくら凝視しても見えにくい。しかし、ほんの心もち視点をずらすとはっきり見える。私の場合、視点の右上が見えにくく、視線を少し上にずらすとよく見えるので、横書きの字のほうが読みやすい。

ゆがみはほんの僅かで普段は感じないが、テレビコンサートでソロのバイオリンやチェロがアップに映る時、弦のごく一部が小さく波打って見える。これは視点を僅かにずらすことによって解消されるが、弓のほうは動きが速いのでこの微調整は間に合わず、いつも一部がさざなみだっている。しかしこの場合は見なくても一向にさしつかえないし、波立つのも音がそこからはじけ出ているように見えてちょっと面白い。

目のフル使用OK

 私がこの病気になった時、誰もがやっぱり目の使いすぎだと思ったようである。私自身もそう思って深く反省していた。しかし、うれしいことに、先生のお話ではそんなことは全然、関係がないそうである。退院の時、退院診療計画書に「読書など目をいくら使っても問題はありません」と書いて下さった。私にとっては読書なしの生活は考えられないし、この病気を早期発見できたのも読書のおかげである。早速、読書やパソコンを楽しんでいる。

 しかし、いまだに「目をあまり使いすぎないでね」と心配そうな声がかかる。折角のご親切にいちいちお言葉を返すわけにもいかない。いっそ先生の書かれたこの行をTシャツの前後に拡大コピーして着て歩きたいものである。


眼鏡を新調

 手術後、これまでの眼鏡が役に立たなくなってしまった。視力が安定するまで5ヶ月ほどかかるそうだが、本を読んだりパソコンをする時とても不自由である。2ヶ月ほど経った時、たまりかねて知り合いの眼鏡屋さんに一時的なものを作ってもらったが、それから2ヶ月、その眼鏡も合わなくなった。
 4ヶ月目の検診のあと、先生にお訊きするともう作っても大丈夫ということで早速眼鏡屋さんへ。私は外出用、読書用、パソコン用など4つ眼鏡を持っているので、出費もバカにならない。先ずはパソコン用、以後、1、2ヶ月に1つづつ作ろうと思っている。


質問に答えて  友人や娘達からこんな質問があった。

*視点の中心の見えない部分は黒いのですか。

.いいえ。印刷物の用紙が真っ白い時は黄色みを帯びたごく薄いベージュ色の直径1.5cmぐらいの円が見え、その中心の1字が抜け落ちて印刷されていない感じです。円の中でも周りの字は見えますが、視点からずれているのではっきりとは読み取れません。このシミのような円は生成りの色の紙では見えません。その時は紙の色のままです。この空白は両目で見ている時は全然気がつきませんでした。私は偶然、早期に気がつきましたが、機会がなかったらもっと遅れて、治療してもいい結果がみられなかったかもしれません。早期に発見するために、時々片目で新聞など印刷物を見てみるといいと思います。

*手術中、眠ったそうですが、目をつぶっても手術できるのですか?

.大丈夫、眼窩に輪のようなものをはめているので、眠っていても目は開いたままです。痛くはありません。労災病院で網膜の裂孔を光凝固で治療する時も同じような輪をはめました。
 手術中メスなどの器具は見えませんでしたか?
.見えませんでした。手術中、手術する方の目の部分だけ開けた布をすっぽり被っていましたので、もちろん右目では見えません。左目はばっちり開いていましたが私には器具は見えませんでした。

 *孔はどうやって塞いだのですか?

.私がお話するよりも専門家の説明を読んだほうがいいでしょう。ホームページにこの病気と手術についていろいろ書かれていますが、特に京都府立医大眼科の黄斑円孔のページ www.ganka.gr.jp/joho/2_07.html が分かりやすいと思います。
 *めったに起こらない珍しい病気ですか?
.私が罹った時、「黄斑円孔」という病名を知っている人はまわりに誰もいませんでした。しかし、退院後、友人の身内や知人でこの病気に罹った人が3人(男性1人と女性2人)も出ました。主治医の先生のお話ではこの病気が治療できるようになったのはここ10年来なので、まだちゃんとしたデータがないそうですが、最近、私のように地方からも患者がちょくちょく来るようになったそうです。
 *今、病気になるまえとまったく同じように見えますか? 
.まったく同じかと訊かれると残念ながら NO です。手術から4ヶ月余り経った今でも、片目でちょっと離れた柱や電柱を見ると縁の1部がねずみがかじったようにギザギザに見えます。(手術直前は深くえぐれて見えました)視点の字も1部がゆがんだりかすれて見えにくいのですが、それはほんの小さな部分ですので視線をちょっとずらすとはっきり見えるようになります。病気になる前と同じではなくても1字ぽっかりと見えなかった手術直前とは雲泥の差です。何しろ視力が0.1から1.0になったのですから。

5ヶ月目をむかえて

 手術をしてから、間もなく5ヶ月目をむかえようとしています。自分で予想していたよりずっといい回復ぶりにとても喜んでいます。これは偶然早くに気がついたこともありますが、それよりもいい先生方に出会い、早期に見つけていただき、最高の治療を受けることが出来たおかげだと思っています。その点、私はとても幸運でした。

 主治医の先生によるとこの病気には4つのステージがあり、たいていの人は第3ステージで来院するそうですが、私はそれより軽い第2ステージだったそうです。早期に見つけてくださり、いち早く旭川医大に紹介してくださった労災病院の高宮先生、ありがとうございました。

 旭川医大の検査の時、視力はうまくいって0.5、もしかして回復しないかもと言われましたが、主治医の引地先生は1.0になる人もいると励ましてくださいました。そして今、先生の言われたとおり、1.0に回復しました! 先生のおかげです。ほんとうにありがとうございました。

 引地先生にはこのホームページ作成にあたっても医学的な内容に関していろいろご教示いただきました。重ねて御礼申し上げます。 (2002年9月20日)

なお引地先生は2004年4月から札幌大塚眼科病院に移られました。
 


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1年経ちました

 手術から1年以上経った。その間、ホームページを見てくださった方達からいろいろなご質問をいただいた。ここでそれに関することや前回お伝えしなかったこと、そして1年経った今の私の様子をお伝えしたい。

目の違和感

 「手術のあと、目に違和感を感じませんか?」という質問があった。
 確かに私も目が落ち窪んだようなショボショボした感じがしている。ちょうど高熱を出して衰弱した時と同じ感じだが、それが手術した片目だけに感じるのである。夕方以後や疲れた時にいっそう感じる。
 手術後数ヶ月した頃、先生に「硝子体が減ってしまったのではないですか?」と訊ねて笑われてしまった。
 この感じは1年経った今でも変わらない。ずっと同じ調子だから別に何か悪いことが起きる予兆でもなさそうである。最近、少し慣れてきて気にならなくなった。

手術の痕

 手術のあと、数ヶ月、目が赤かった。手術した事を知らない人からどうしたかと訊かれるほど目立っていた。しかしそれもだんだん薄くなり、細い線だけになり、よくよく見なければ分からない程になった。

光芒

 初めの頃、暗い所で灯りを見ると、そこから光線がたくさん放射状に出ていて驚いた。多分、眼内レンズのせいだと思う。今は灯りを中心に光芒が見える。とてもきれいなので、時々、手術した方の片目で街灯を見たりする。星空を見るにはちょっと不便だが。

視力検査

 検査の数値がなかなか上がらないと嘆く方も多い。
 以前、偶然開いたホームページで、眼科病院の看護師さんが「黄斑円孔の患者の視力検査は時間がかかって疲れる」と書いていたのを見たことがある。まったくその通りだと思う。

 私の場合、初めの頃、検査してくれた視能訓練士さん(こんな資格があるそうだ)が私が答えるたびに「すごい!すごい!」と誉めてくださるので、私はつい、いい気になって目をカッと見開いたり、頭を動かしたりして、もっと小さな記号に挑戦しようとした。すると不思議にもそれもちゃんと見えてくるのだ。私の視力が向上したのはまったく彼女の励ましと忍耐によるものと思う。

 私達の視力は近視の人のそれとは違って、眼鏡でどんなに拡大しても視点の一部に見えなかったり、薄れていたり、ゆがんでいる部分がある。その部分が検査の記号と重なると見えなくなるが、ほんのちょっとずらすと見えるようになることがある。

 私は今でも検査の時、かなり大きな記号でも一瞬、見えない時があるが、ずうずうしくも「ちょっと待ってください」と目を見開いたり、頭をいろんな方向に動かす。もし、はやばやと諦めて「分かりません」なんて言ってしまったら、多分0.5止まりだったかもしれない。

視力検査担当の方にお願い!

お忙しくてお疲れでしょうが、黄斑円孔手術後の患者には十分時間をかけて検査して下さい。患者は視力の数値に異常なほど敏感で、0.1の上がり下がりにも一喜一憂しているのですから。

もとどおりにはならなかった

 「手術後、期待していたようにはよく見えない、先生にそう言っても、孔はちゃんと閉じているとのお返事しか返ってこない」こんな不安と不満の入り混じった気持ちの方が何人もいた。手術が成功したらもとどおりにちゃんと見えるようになると思っている方が多い。

 しかし、私のように初期の段階で手術しても、残念ながらそうはいかなかった。なにしろ目にとってはあんな大手術、まったく跡形もなくもとどおりになるはずはなかったのだ。

 私の場合、手術直前に比べると、はるかに改善され満足しているが、それほど改善されず悩んでいられる方もかなりいるようである。特に若い方は先のことを考えて絶望的になってしまいがちである。そんな方達を精神的に支えてあげる所があればいいのにと思う。

Kさんの例

 参考までにKさんのことを書かせていただく。

 Kさんは50才代、事情があって目の異常を自覚してから1年後に手術を受けた。手術前にお医者さんに孔はかなり大きいが99%治ると言われていた。手術は成功し、孔は完全に塞がったと言われて喜んだが、ガスが抜けて視界が広がっでも字は全然読めなかった。5ヶ月目の検診で、目の見え方はそれ以上よくならないといわれ、意気消沈して帰宅したそうである。いただいた文面からは、絶望と、孔が完全に塞がったのだからもっと見えるようになるかもしれないという淡い期待とが揺れ動いている様子がうかがえた。

 先日、久しぶりに彼女から直接お電話をいただいた。1年経ったが目の状態は以前のままだそうだ。「でもね」と彼女は続けた。「よく考えたら、手術直前よりもいくらか良くなっているし、もし、手術しなかったら今よりもっともっと悪くなっていたと思うの。私、やっぱり手術して良かったわ」それはとても明るく元気な声であった。1年後にしてようやく、こんな心境にたどりついたのだ。元気になった彼女に心から拍手を送りたい。


私の今

 視力など目の状態は5ヶ月目と変わっていない。やはりごく小さいけれど視点の1部がかすれたり、ゆがんでみえるが、そんな状態にも慣れてきた。検査も半年毎になった。検査は両眼ともしてくれるし、それに何か異常があれば駆けつけることもできるので安心である。

 目下の問題は眼鏡のことである。眼内レンズを入れたので視力はとてもよくなったが、反対の右目の視力がこの1年でかなり低下してきた。両眼のアンバランスに眼鏡屋さんも苦労している。それぞれの目に合わせて作ると疲れるそうで、ギリギリまで両眼が近づくように作るそうである。したがってどちらの目もみえにくい。車の助手席に座ってもナビゲーターとしては役に立たなくなってしまった。

 しかし、両目で本も読めるし、パソコンもできる。毎日、元気で機嫌よく暮している。                           
                           2003年8月10
 

 
体験談募集!

 
すでに黄斑円孔の治療を終えた方達の体験を集めたページを追加したいと思います。多くの患者さんに参考にしていただくために、ぜひ皆さんの貴重な体験をお寄せください。詳しくはメールでお問い合わせください。
なお、メールを下さって返信をしましても戻ってくる場合が時々あります。できればお電話番号も書き添えて下さい。

 2011年4月に手術された方のブログもご覧下さい。
 
 
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