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掌編小説/  ダイヤモンドダスト

ダイヤモンドダスト

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「同じ中央区なのに、ここは雪が深いですね」
新次は、制帽に積もった雪をはたき落としながら、武藤警部補を見た。
パトロールに出る前から、レースのカーテンがはためくように、細かい雪が幕になって降っていた。すぐ前のひとの足跡が、見る間に輪郭を失いつつある。
「道をしっかり覚えろよ、鈴木君。『若い警官、雪道で遭難』てなことになったら笑い話にもならないよ」
武藤は鼻水をすすりながら笑った。四十過ぎの武藤には、冬の勤務がそろそろ辛くなりだしたらしい。

新次は、三日前に「青葉台公園前交番」に転勤になったばかりだった。今日も武藤に管轄区域内を案内してもらいながらのパトロールだ。
「いくらなんでも、こんなわかりやすい住宅地で遭難なんて」
ムキになって新次が言うと、武藤は、まあまあと言った。
「実は、このあたり一帯は、昔、樹海だったんだ」
「え」
「それを大正時代あたりに切り開いたんだが、どうもいまだに道を尋ねて交番にやってくるひとたちが多い。樹海の魔力が残っているんだというひともいるよ」
「やだなあ」
「やな話ついでに、教えてあげよう。明治時代の始めごろ、若い巡査と遊女が、吹雪の樹海に入って心中したって噂がある」
「え、ほんとですか」
「噂にすぎんが、俺はそんなことも実際、あったんだと思う」
「どうしてそう思われるんです?」
しかし、新次は答えを聞くことができなかった。近くで「おまわりさーん」と呼ぶ声がしたのだ。

「すいませーん。道に迷っちゃってえ……」
前方から、若い女性が走りづらそうに駆けてきた。彼女は新次の眼前に到達するなり、ずるっと滑った。
「わっ!」
新次のほうが悲鳴をあげ、あわてて女性を抱きとめた。
  ――そのとき、雪が止まった。
やんだわけではない。今まで規則正しくふきつけていた雪が、突如空中で静止したのだ。同時に、新次の体が急激に冷えて、目の前が暗くなった。

ダイヤモンドダスト

「……りん、大丈夫か?」
俺は、一足ごとに雪に埋もれてゆく自分の長靴を見つめながら、背中のりんに聞いた。雪が口の中に入ってくる。
「私は大丈夫です。早乙女さまこそ、お疲れでしょう? 私、自分で歩きます」
「俺のことは気にするな。追っ手の手が完全に届かぬくらい奥深くにゆきつくまで、気が抜けぬ」
「幸いにもこの大雪。早乙女さまの足跡は消えております」
背中で、りんが後ろを振り返った気配がした。
広い樹海の中は、真っ白だった。雪は、りんと一緒に女郎屋を抜け出してから、ずっと降り続いている。かれこれ二時間にはなるだろう。だんだん、吹雪いてきた。前がよく見えないが、どうせ二度と外へ出るつもりはないのだから、ただ足の向くままに歩き続けるだけだ。
「……このあたりにするか」
さらに一時間ほど歩いたところで、体力の限界がきた。もう、足が動かない。かじかんだ体を曲げて、りんを降ろす。

一本の大木の下に、ふたりで寄りかかった。その拍子に、木の枝からひとかたまりの雪が落ちてきて、俺の制帽とりんの結いあげた髪にどさりとかぶさった。
「冷たい」
りんはそう言ったが、雪を払おうとはしなかった。それがいじらしくて、俺はりんを抱き寄せた。
「雪って、音もなく降っているときは綺麗ですけれど、風にあおられてこんなふうに斜めに叩きつけてくると、怖いみたい」
「怖いか」
「でも、今は早乙女さまとご一緒ですから、平気です……」
りんは、早くも眠気を催しているらしい。
「りん」
「早乙女さま。雪が、きらきら光って、美しい……」
「そうだな」
「すみません。早乙女さまをこんな、こんな……」
「謝るな。俺も望んだことなのだ」

りんの唇は、紫色に変わっていた。俺はそっと自分の唇を押しあてた。りんの、雪のような柔らかで冷たい唇の感触が、せつない。
「りん……」
名前を呼ぶと、りんは目を閉じたまま、穏やかな笑みを浮かべて、俺の膝にくず折れてきた。
細いりんの手首をそっと握ってみた。
「……りん……先に眠ったのか……」
それから、どのくらいの時間、暴れる雪を見つめていたのか、俺の上体が、がくりと、りんの上に倒れた。
  ――寒い寒いと思っていたのに、案外、暖かい……。
俺の視界は、次第に暗くなってゆく。それにあらがうように、雪の白さがきわまっていた。
  ――りん……。……。

ダイヤモンドダスト

「きゃあ、滑るぅ!」
若い女性が自分の腕にしがみついて、じたばたしている。その騒がしい声に、鈴木新次巡査は我に返った。
「ああ、落ち着いて、落ち着いて。ぐっと足の裏に力入れて」
「はあー。転ぶかと思ったわ」
若い女性は、ふと新次を見上げると、不審そうに首を傾げた。
「あのー。私、おまわりさんに道を尋ねようとしてたのよね?」
「そうですよ。でも……」
新次も合点がゆかぬ顔で相手を見た。

「今……」
二人同時に言いさして、なんとなく、一緒に口をつぐんだ。
「お嬢さん、どこに行きたいんです?」
そばから武藤警部補が聞いた。
「ええと……」
若い女性はバッグから住所を書いてあるらしい紙片を取り出して、武藤に告げた。武藤は分かりやすく説明した。若い女性は、うなずきうなずき、聞き入っていたが、やがてお礼を言って歩きだした。だが、彼女は、ちょっと進んで、一度ちらりと新次を振り返って小首を傾げ、また前を向いて去って行った。

「彼女も見たんだろうな」
不意に武藤が言った。
雪は、いつの間にか、静かな降りになっている。
「……見たって……?」
「君も見たんだろう、鈴木君」
武藤は新次の顔を覗き込んできた。
「背中に、りんのぬくもりを感じながら、吹雪にかき消されそうになっている樹海の奥を、君は見たんだろう?」

「え……武藤さん……? まさか、あなたも、あの早乙女巡査を感じたことがあるんですか?」
「ああ。君と同じくらいの年頃にな。やっぱり、このあたりで。吹雪の中で財布を落として困っている若い女性と出会ったとき、俺は早乙女巡査になっていた」
「……じゃあ、もしかして、さっきの彼女は、りんになっていたんでしょうか」
「たぶんな」
「……百年以上前の出来事を、僕らに追体験させたのは……この、雪……?」
新次は目を細めて、ゆっくりと舞う雪を見た。
冷えきった体に、かすかな温かさを感じだ。
新次は、制帽を脱いで、黙祷した。

(完)

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