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掌編小説/  貝殻

万華鏡・貝殻

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夏休みの、ちょうど真ん中に当たる日だった。
明子は5歳。4歳年上の兄に連れられて、祖父母の家の近くにある海で遊んでいた。
砂浜にはビーチパラソルが適度の間隔を置いて並び、お兄さんやお姉さんたちが、仲良さそうに寝そべって笑い合ったり、海に入って水をかけあったりして楽しんでいた。

「お兄ちゃん、あっこ、浮き輪いらない。泳げるもん」
赤いワンピース型の水着を着た明子は、浮き輪を外そうとした。
「だめだよ、あっこ。浮き輪なしじゃ、まだ1メートルくらいしか泳げないだろ? 海に飲み込まれちゃうぞ。そうだ。砂浜にあがって貝殻拾いでもしよう、な?」
兄はいつものやさしい目で言った。

万華鏡・貝殻

「あ、きれいな貝殻、見つけた!」
明子は、その小さな掌に納まる二枚貝を兄に見せた。
「ほんとうだ。中身は蟹にでも食べられちゃったのかな、可哀そうに」
兄の言葉に、明子はちょっと貝殻に申し訳ない気がした。しかし、それよりも、貝殻の内側が真珠のように光り輝いていることに気を取られた。
ただ、美しいのは上の貝殻だけで、下のほうは砂が染み込んだように、いくら洗っても綺麗にならなかった。
明子は2枚の貝殻を半分にして、汚いほうは捨てることにした。ちょうつがいの部分に力を入れて、バチンと折ろうと試みた。
ばちん!

「やったあ!」と思ったのは一瞬だった。貝殻に変化はない。音は明子の背後から聞こえてきたのだった。

なんだろうと振り向くと、さっきまでビーチパラソルの下で仲良く笑いあっていた、お兄さんとお姉さんが、喧嘩をしていた。お兄さんのほっぺたに、赤く手の痕がついている。どうやら、お姉さんにぶたれたらしい。
「あたし、帰る!」
長い髪をしたお姉さんは、茶色に染めた髪を払うようにして、踵を返した。
「待てよ、ナナコ!!」
お兄さんは頬を押さえながら追って行ったが、お姉さんに砂をひと握り投げつけられて、立ち止まった。
「ぺっぺっ、砂が口に入ったじゃないか! ちくしょう、勝手にしろ!!」
お兄さんは怒鳴りつけると、さっさとビーチパラソルをたたみ、帰り支度を整えると、砂浜から去って行った。

万華鏡・貝殻

明子は、あっけにとられてそのカップルを眺めていたが、すぐに興味は貝殻に戻った。
はずれない。二枚の貝は、明子にあらがうように、しっかりと手を握り合い、離れない。
「ねえ、あっこ。無理にその貝殻引き離すの、可哀そうだよ」
やさしい兄は、気の毒そうな声を出した。
「やだもん! あっこ、こっちの汚いの、いらないもん!」
明子が癇癪を起して叫ぶと、兄は、軽いため息をついて、黙ってしまった。
そうこうしているうちに、明子は背後で罵声や怒声がちらちらと聞こえはじめ、やがて、砂浜中がそれらで埋め尽くされていくのを感じた。さすがに小さい明子でも、気になって、再び振り返った。
あんなに仲良さそうにしていたカップルたちが、みな喧嘩を始めていた。すでに、さっさと別行動をとっている人たちもいた。砂浜から、人影がずいぶんと減った。
「ヘンなの」

つぶやくと、明子は貝殻を離そうと、執拗なまでの熱心さで引っ張ったり曲げたりした。
「はあー、ダメだあ」
どれくらいの時が経ったのか、明子にはわからなくなっていた。とにかく、明子は貝殻をふたつに切り離すことをあきらめ、寄せてくる波にひたして、ちゃぷちゃぷと貝殻を振った。
すると不思議なことに、あれだけ力を入れても離れなかった二枚の貝が、すっと離れた。真珠のような光沢を放つほうが明子の手に残り、薄汚れたほうは、波にさらわれて行った。
「やったあ!」
大喜びで明子は三度砂浜を振り返った。
いつの間にか、夕陽を浴びたオレンジの砂浜には、誰もいなかった。打ち捨てられたビーチマットやビーチパラソルが、ちらほらと見えるのみで、人影はなかった。……いや、兄が、明子の兄がおもちゃのバケツに砂遊びセットを入れて、立ち去るところだった。
「お兄ちゃん! どしたの? 帰るの? 待って! あっこも帰る!」
しかし、兄は明子の声など聞こえぬふうに、どんどん歩道に出る階段のほうへ歩いて行く。
「待って、お兄ちゃん! 置いてかないで!」
半べそをかきながら明子は兄に追いすがった。
兄はゆっくりと振り向いた。
能面のような無表情な顔。漆黒の瞳が、光のかげんか、灰色に見えた。明子は、ぞっとした。
「お兄ちゃ……」
呼び終わらないうちに、兄は明子を置いて、無言ですたすたと去ってゆく。明子は必死に追いかけた。

万華鏡・貝殻

兄は16歳で死んだ。
スクーターを買うのだと言って、高校へ行きながら、新聞配達のアルバイトをしていて事故に遭ったのだった。真夏、自転車をこいでいた兄は、大型トラックに巻き込まれた。即死だった。
兄は、あの日から、なぜか明子を避けるようになった。いつも背中を見せていた。たまりかねた明子が兄の真正面に回り込むと、灰色の冷たい瞳でじっと明子を見、そのまま無言で横を向いた。
その後うまれた妹や両親に対するとき、兄は昔のままの兄だった。やさしい物言いも、ほがらかな笑い声も、なにもかも変わっていなかった。ただ、明子に向うと、兄の人間が変わった。
背が伸び、声が少年のそれから大人のものになっても、兄のそうした態度は続いた。さすがに最初の頃は両親も心配して、明子と兄を並べて座らせ、何があったのかと問うた。しかし、明子はわけがわからぬまま泣きじゃくるしかなかった。兄は黙っていた。
『ねえ、あっこ。無理にその貝殻引き離すの、可哀そうだよ』
まだ、声変わりのしていない幼い声。結局、それが、明子に向けられた兄の最後の声となった。
今、妻となり、5歳の娘を持つ身となった明子は、二枚貝を見つけたら、そのままそっとしておくのよ、と娘に語りかけている。

 
(完)

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