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掌編小説/  傘の花

傘の花

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色とりどりの花々が、地上を移動してゆく。
赤いチェック模様、ピンクの花柄、紺の水玉模様……。
9階建のビルの屋上から覗きこむと、強いにわか雨に、人々が慌ててさした傘が、花のように見えた。

亜矢(あや)は、ずぶ濡れになりながら、もう二十分も眼下を見つめていた。今頃、あの意地の悪い先輩社員が、亜矢がどこかで仕事をさぼって自販機のコーヒーでも飲んでいるに違いないと喚いているのだろう。
以前、お腹の具合が悪くてトイレに5分間行っていただけで、「みんな忙しいのに、仕事中に5分間も席をはずすなんて、なに考えてるの。幼稚園児じゃないんだから、トイレぐらい休憩時間まで我慢しなさい。だいたい、お腹をこわすなんて、社会人の自覚がないのよ、あなたは」と他の社員達の前で罵倒された。
そんなことが1日に10回以上ある。亜矢が一方的に問題を起こしているわけではない。何かの拍子に、新入社員の亜矢が、あの先輩のストレスのはけ口に選ばれてしまったのだった。先輩は、亜矢がそこにいるだけで難癖つけるのが生き甲斐なのだ。

亜矢は気まじめで、気が弱い。友達も少ない。兄弟姉妹はいない。一流企業に就職出来たと親戚中に自慢する両親には、「会社を辞めたい」とは言いだせなかった。

疲れた……。

ここ3週間は、ベッドに入っても1時間眠っただけで、悪夢にうなされて目が覚めてしまう。

亜矢は雨に濡れた屋上の手すりを鉄棒に見立てて飛び上がった。このまま重心を前に移せば、前転してあ の綺麗な花畑の中に落ちてゆける。それで、この苦しみから解放される。

亜矢は一瞬、両親と友人の顔を浮かべると、一気に体を前に倒した。

手すりから、両手が離れる。

「あっ!」

亜矢は思わず声を出していた。体は完全に宙に放り出された形だ。今さら命が惜しくなっても、もう屋上には戻れない。ただ、雨に染まって黒くなったアスファルトに落ちてゆくだけ。その覚悟は出来ていた。自分で望んだことなのだから。

ところが、今、亜矢は気づいた。眼下に、傘がある。通りを移動する様子がない。誰かと待ち合わせでもしているのか、その傘はまったく動こうとしないのだった。

オレンジ色に、白いふちどりのついた一輪の花のような傘。若い女のひとだろうか。

このままでは、あの傘のひとを巻き添えにしてしまう。こういう「事故」のときは、飛び降りたほうではなく、下にいてぶつかられたほうが死亡率が高いと、以前ニュース番組で見たことがあった。

「どいてーっ!!」

亜矢は絶叫しながら風を切って落ちて行った。

傘の花

「……、だからね、あなた死ぬつもりなら、前後左右をよく確認しなきゃだめよ」

目の前に、10歳くらいの金髪の少女が立っていて、亜矢に説教していた。

どうして、自分はこんなヘンな子に叱られているんだろう、と亜矢は、ぼうっとしながら思った。

金髪の少女は白いフリルをふんだんに使ったワンピースを着ている。背中から覗いている翼も、純白だった。

「え? 背中に翼? ちょ、ちょっと、あなた誰?」

亜矢は慌てて問うと、相手の返事を聞く前に、あたりを見回した。ビルの屋上から飛び降りて、真下にいたオレンジの花のような傘をさしたひととぶつかった記憶がある。ドーンという鈍い衝撃―――。

「あ、あの傘のひとは!?」

なぜか亜矢は街路樹のそばに立って、不思議な少女と話しこんでいたのだが、オレンジの傘が咲いていたほうを見ると、細身で、長い髪を乱し、見慣れた制服を着た女性がうつぶせに倒れていた。周囲にひとが集まってきていた。

「いやだ。私と同じ会社のひとだったの?」

「なに言ってるのよ、呑気なひとね。あれ、あなたよ」

「……えっ」

亜矢は息を飲むと、おそるおそる自分の足を見た。

スカートの裾のあたりからつま先までが、ぼうっと半透明になっている。

「私、幽霊になったの?」

「ええ、とりあえずはね」

背中に翼を生やした少女は横を向いていた。右手の指を広げて、キラキラとしたネールアートをほどこした爪に見入っている。

「近頃の天使はお洒落なのね」
半ば呆れながら、亜矢は言った。

「あら、あたし、天使じゃないわよ」
少女は亜矢に向き直ると、心外そうに言った。

「え? ……あ、そうか。うちは一応仏教だったものね。エンジェルとはあんまり関係なさそうね?」
それじゃ、この子は何者なんだろう? 亜矢はしげしげと少女を眺めた。

「私は宇宙から遣わされた宇宙の意志」
エンジェルもどきの少女は、にかっと笑った。

傘の花

「宇宙の……意志……? 新しい宗教かなにか?」
ためらいがちに亜矢が尋ねると、エンジェルもどきの少女は口をとがらせた。

「違うわよ。……うーん、人類の言葉で言えば、”運命”かな? それより……」

少女は倒れている亜矢の実体のほうに目をやった。

「あなたの寿命、102歳まであるんだけど。こんなとこで死んじゃったら、こっちとしては困るのよね」

「困るって言われても、だってもうあそこで死んでるじゃない」

「死ぬ前にさあ、他の職業に転職するとか考えなかった?」

「そんなこと……」

「も一度戻りなさい、この世界に。それが宇宙の法則」

「なによ、法則って。だいたい、戻ってどうするのよ……。また飛び降りるわよ」

「今度は真下にひとがいないか確認しなさいよ。もっとも……」

「……もっとも?」

「あなたがダイビングしたら、また私がオレンジの傘をさしてあなたを待ち受けていなけりゃならないんだけど」

「ええっ、どうして?」

「それが私の使命だから。宇宙の意志だから」

そのとき、亜矢は少女の黒い瞳の中に、銀河系が輝いているのを見た。

傘の花

「……ですか? 大丈夫ですか?」

亜矢は控えめな男の声で目を開けた。体中が濡れて寒い。右足首が、痛い。

「起き上がれますか? まったくひどいよね。マンホールの蓋が少しずれていたんですよ。あなたは、そこに足をひっかけて倒れたんですよ」

ブランチ帰りのサラリーマンといった感じのメタボ気味の男性が、しゃがみ込んで、倒れている亜矢に傘をさしかけてくれていた。

「……あ、あの、わたし……」 

―――あなたの寿命は102年。でも、そこに達するまでのあいだはあなたの人生。宇宙の意志も影響を与えることはできないの。じゃあね。グッドラック!

天使もどきの少女の声が聞こえた。

(完)

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