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冬瓜(シブイ)

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  とうとう落ちぶれるところまで落ちたな。

安郷堅信(あさと・けんしん)は空を見上げて溜め息をついた。早朝の澄んだ薄青い空に、サシバが舞っている。

「ほらあ、駄目でしょ。鍬(くわ)に寄りかかったりしちゃ!」

いきなり若い女の叱責が鼓膜を震わせた。声のほうを見ると、笊(バーキ)を頭にのせた少女が、くりくりと目を動かして堅信を見ていた。少女のバーキの中から冬瓜(シブイ)が溢れている。色艶がよく、旨そうだ。

「またお前かよ、ナビー。いちいちうるさいんだよ、十四歳の小娘が。俺は二十四だぞ。しかも侍だ。お前は根っからの百姓。身分をわきまえろ」

堅信はナビーを睨みつけた。

「なによ。侍は捨てたんでしょ。だから那覇から、こんな山奥の山原(やんばる)で畑なんか耕しているんでしょ。……あーあ、なに、この畑。これ、畝(うね)のつもり? それとも化け物みみずが通った跡かしらね?」

「なんだと!」

「あたしら百姓に百姓仕事の教えを請うのが嫌なら、屋取(ヤードゥイ)へ行きなさいよ。あの人達は、みんなあなたと同じ都落ちしてきた下級士族なんだから」

「俺は同病相哀れむような、みじめったらしい真似は嫌なんだ! 落ちぶれたとはいえ、一度は琉球藩庁に奉職していた身なんだからな!」

「あーら、お気の毒さま。あの難関と言われた科(こう)に受かって、藩庁に奉職したって、お給金いただけるところまで出世しないうちにヤマト世になっちゃって、ただ働きのままあなたの人生、終わっちゃったのね」

ナビーは腕に止まった蚊を、ぱあん、と叩き潰した。

「もう、新北風(ミーニシ)が吹いているっていうのに、琉球の藪蚊は根性あるわ」

「お前、女だろ! せっかく生き残った虫を殺したり、俺の人生勝手に終わらせるなよ!」

堅信は怒鳴ったが、いかんせん腹に力が入らない。ここのところ、野草の汁物しかとっていないのだった。

昨年明治十二年の春、琉球王国は明治政府の手によって、ヤマトに取り込まれた。もともと同じ先祖を持つ琉球人とヤマト人なのだから、すぐになじむというのが明治政府の言だったが、実際には、世の中、ヤマト人の都合の良い方向へ発展し、琉球人は、一部の上士を除いて、貧乏くじばかりひかされている。

「俺に構うな。俺は俺流でやる」

そう言って、堅信は掘立小屋に入った。食べられるものはほとんど残っていなかった。

確かに、侍の矜持を捨てて、本物の百姓に野良仕事を一から教えてもらえば、来年の今頃は、見事な野菜をどっさり収穫して、売りさばけるだろう。

侍だろうと百姓だろうと、琉球人としての誇りさえ持っていれば……。

 翌日、

「安郷さま」

畑に出ていると、たおやかな女の声に呼ばれた。こんなところには似合わない、しとやかな声だな、と不審に思いながら顔をあげると、ナビーが立っていた。今日は行商用の笊を頭に載せていない。代わりに、手に小振りの風呂敷づつみを抱えていた。

「またお前かよ。今度は何だって言うんだ」

考えてみれば、ナビーと口喧嘩しているときだけ、空腹を忘れられるような気がする。

「今日は、お別れに参りました」

「……え……?」

「那覇へ……辻遊廓に参ります」

「辻……って、お前、遊女(ジュリ)になるのか……?」

ナビーは黙ってうなずいた。

「いつも失礼な口をきいて、申し訳ございませんでした。ご寛恕くださいませ」

「お互いさまだ。それより、そんなに苦しかったのか、お前の家……」

「父が体をこわして。私の下には十二歳から赤ん坊まで、六人の弟妹がいます。だから」

ナビーは堅信を見た。涙をこらえた顔だった。そうか、この娘との口喧嘩は、もうできないのか。堅信の胸に冷たい風が吹いた。そして、ナビーの将来を思って胸が熱くなった。

「安郷さま。父に、あなたさまのことを話してあります。もし、あなたさまがこの地に腰を据えて生きていこうと決心なさったら、父をお訪ねくださいまし。僭越(せんえつ)ながら、百姓仕事のいろはをお教えさせていただきます」

ナビーは小走りに去ってゆく。何か気のきいた言葉をかけなければ。一生、心の支えになるような。堅信はそう思ったが、

「ナビー、体に気をつけろよ!」

 そんな言葉しか出てこなかった。

しかし、ナビーは振り向いて、元気いっぱいの笑顔を見せると、手を振った。

           
(完)

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