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掌編小説/  車輪

車輪

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(あ、駅長のお嬢さんだ)
光一はいつもの坂道を自転車で登っているところだった。この坂はきつい。踏み込むペダルの重いことといったらない。今は夏の暑さも薄れ、木々の葉が紅葉を始めたから、少しは楽だった。

そんな光一の目にとまったのは、セーラー服におかっぱ頭をした、駅長の一人娘、橘陽子の後姿だった。右手に重そうな学生鞄を下げている。心なしか体が右に傾いているようだ。

光一の父は駅の助役で、陽子の父の部下だが、駅員といえば、他に見習いが一人だけ――つまり職員3人の小さな田舎の駅の助役と駅長だった。
しかし、高校はなかなか大きい。もともとは男子校と女子校だったものが、戦争が終わってから、急に男女共学が奨励されるようになり、光一の高校と陽子の高校が一緒になったのだ。光一は1年生、陽子は2年生だった。

「橘先輩!」
自転車のスピードをあげて、光一は陽子の隣に停車した。

「あら、奥寺クン。おはよう」
陽子は色の白い綺麗な顔をほころばせた。

「あ……、おはようございます! あの、乗って行きませんか、後ろに? その、学校まで」
「え……。でも、悪いわ。わたし、これでも結構重いのよ。それに、鞄もあるから……」
なるほど、陽子を乗せたら、かなりの重量になる。坂道を登りきれるだろうか? たとえ登りきったとしても、その先15分は自転車をこがねばならない。……と言って、父の上司の娘で、自分にとって先輩である女学生が難儀そうに歩いている横をさーっと通り過ぎるのも気がひけた。
「大丈夫ですよ。いい運動になります」
光一は笑いかけ、陽子は、おずおずとうなずいた。

車輪

長袖のセーラー服を通して、陽子の細い腕が自分の体にしっかりまきついているのを、光一は胸を高鳴らせながら感じていた。
(おれ、橘先輩が好きだったのかな?)
いや、違う。小さい頃から異性と引き離された学校生活を強いられてきた世代だ。異性が、珍しいのだ。なんだか、美しい花を眼前にしたときのように、どきどきするのだ。 後もう少しで坂道を登り切る。

「ねえ、奥寺クン。高校を出たら、どうするの? 街へ出て、大学に行くの? それとも、すぐ国鉄に入るの?」
 たおやかな声だった。
「え。いやあ、まだ1年生なんで、はっきり決めてないんですよ」
「ふうん。はっきり……っていうことは、ちょっとは考えがあるのね」
「え? はあ、まあ……」
「なあに? 聞きたいな。わたしには言えないようなこと?」
「えっ、そんなヘンなものじゃありませんよ。医者です、医者。ここ田舎だから、医者が少ないでしょう? だから、外科も内科も出来る、なんでも屋になりたいんです。でも、うちの高校出たくらいじゃ、医大に入るのは無理だろうなあ」
 初めて他人に語る夢だった。父にも母にも、親友にも話したことがない。
「奥寺クン、成績いいほうなんでしょ。世の中には叶う夢と叶わない夢があるけれど、奥寺クンの夢は、頑張れば手の届くところにあると思うな」

陽子の両手が、光一の胴体をきゅっと抱いた。
その行為に驚いて、光一は反射的にペダルから足を離してしまった。自転車が後ろ向きにころがり出した。ブレーキをかけたが、加速度のついた自転車は止まらない。

「先輩! 腕を離さないで!!」
叫んだ拍子に糸切り歯で唇を切った。自転車は止まらない。

車輪

――奥寺クン、いつもわたしより早く登校するでしょう? わたし、家の中で奥寺クンの自転車の音を聞いてるの。車輪を勢いよくまわして、しゃーっと走り抜けて行く音。なんていうか、生き生きとしてキラキラ輝いている感じがしたわ。


どこかで、陽子のそんな声がしたように思った。
同時に光一は、体のあちこちに鈍痛を感じて目を開けた。

「気がついたの、光一。まったく、あんな急な坂から自転車ごところげおちて。母さん、知らせを受けたとき、胆を潰したわよ。でも、吉田先生が診てくださって、軽い打撲だけだっていうから、ほんと、安心した。自転車はあきらめなさいね。真ん中からぐにゃっと曲がっちゃったから」
母は、せわしげにそう言った。普段着の母は、化粧もせずに、しかしどこかへ出かける様子だった。時計は十時を指している。今日は学校を休まねばならないだろう。と、

「あっ! 先輩は!? 橘先輩も怪我してるだろう、母さん? ひどい怪我じゃなきゃいいんだけど」
光一は寝かされていた蒲団から飛び起きた。

「橘先輩……?」
母は、奇妙な表情を見せた。
「駅長さんのお嬢さんだよ!」
「ああ……」
落ち込んだ顔で母はうなずいた。
「さっき、お亡くなりになったわ。奥様もいろいろ大変だろうから、とりあえずお手伝いに行くところよ」
光一は頭の中のものが、いっせいに消し飛んだかと思うほどの衝撃を受けた。

「……え……な、亡くなった? おれが、自転車をしっかりこいでいなかったから……。おれが、先輩を殺したようなものじゃないか……!!」
「ちょっと、光一、しっかりしなさい! 何をわけのわからないこと言ってるの? 吉田先生、頭は打ってないっておっしゃったけど、ほんとなのかしら? 吉田先生を信用しないわけじゃないけど、やっぱり街の大きな病院で診てもらったほうが……」
「なに言ってるんだよ! おれのことなんかどうでもいいんだ! 自分で後ろに乗って行けって誘っておいて、先輩を死なせるなんて……おれ、おれ、どうしたら……!!」
「光一、なんの話をしているの?」
母が怯えたような目で見た。

「だから、今朝自転車で走っていたら、坂の途中に重そうな鞄かかえた陽子先輩を見つけたから、おれ、素通りできなくて、乗っていきませんかって……」
「気味の悪いこといわないでよ、光一。陽子お嬢さんなら、昨夜から危篤状態が続いていて、さっき、お亡くなりになったのよお宅で。駅長さん、あの通り口の重いかただし、奥様もそれにならったのか何もおっしゃらなかったけど、お嬢さん、持病があって、長くは生きられないって言われていたそうよ」

車輪

それはまるで、出征兵士の見送りだった。
駅のホームに、町のひとたちが大勢集まり、「光一さん、頑張ってね!」「都会のもんに負けるなよ!」「東京は生き馬の目を抜くっていうからね、気をつけるんだよ!」「立派な医者になって必ず帰ってこいよ!」と、それぞれに言葉をかけてくれた。
光一の担任が、「今の成績なら、街の大学の医学部になら目をつぶっていても入れる。それより、旧帝大の医学部を狙ってみないか? お前なら努力さえ惜しまなければ大丈夫だ。そのほうが、高度な医療を学べるだろうしな」と強く後押ししてくれたのは、高校3年に進級した途端だった。

「お前にやる気があるなら、金の心配はするな」
と父も言ってくれた。

「それでは、皆さん、行って参ります。吉田先生のようなご人徳と、最先端の医療技術を身につけて、この町の為に働くつもりです。僕が帰って来るまで、皆さん、お体を大切に、お元気で」
光一が汽車がホームに停止したのを確認してから、そう挨拶すると、雷鳴のような拍手が起きた。

車輪

汽車の窓からゆっくりと後ろへ流れてゆく風景を見ながら、光一は駅長の娘・橘陽子を思い出す。 

あの日、自分が自転車の後ろに乗せた陽子は、幽霊……いや、あの時点ではまだ危篤状態で自宅に横たわっていたのだから、生霊だったのだ。
彼女の重そうな鞄の中には、叶えることが出来なかった夢の数々がつまっていたのだろうか。

(陽子先輩は、おれの命を守ってくれた……)
事故の後、駐在があまり自転車の損傷が激しいので、町に一軒しかない自転車屋に見てもらった。すると、自転車にもともと欠陥があったことがわかった。つまり、あのとき、光一がペダルを踏み外さなくても、光一は坂から転がり落ちる運命にあったのだ。あとにして思えば、車輪の回転音が、普段とかすかに違った気がする。坂を転落する刹那、全身が羽毛で包みこまれたような不思議な感覚を覚えた。

(なぜだかわからないが、陽子先輩が、自分の命で、おれを守ってくれたのだ。そうでなければ、おれは死んでいただろうな)

汽車がリズミカルに揺れる、それに合わせるかのように、一面の緑が消えては現われ消えては現われする中に身を置いて、光一は陽子の言葉を思い出していた。

――奥寺クン、いつもわたしより早く登校するでしょう? わたし、家の中で奥寺クンの自転車の音を聞いてるの。車輪を勢いよくまわして、しゃーっと走り抜けて行く音。なんていうか、生き生きとしてキラキラ輝いている感じがしたわ。




(完)



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