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通訳

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タルーは那覇の町百姓に生まれた青年だ。一人で両親と七人いる弟妹達を食べさせるほどの働き者だった。その暮らしがこの春から一変した。今は秋の入りで、渡り鳥のサシバが姿を見せ始め、新北風(ミーニシ)が吹いてきたから、タルーが新しい仕事に就いて八か月ほどが経ったことになる。昨年の春に琉球王国が滅んで、沖縄県が誕生した。タルーは断髪にして、シャツにズボンを身につけている。ヤマトの官吏とよく間違えられる。今、タルーは那覇の沖縄県庁に務めている。

沖縄県民の使うウチナーグチとヤマト人のヤマトグチがうまく通じず、再三いさかいになることがある。タルーは、琉球王国の末期に、或る上級士族のもとで下働きをしていたことがあったのだが、主が「これからは、ヤマトグチが分からなければやってゆけぬ」と言って、タルーに教えてくれたのだった。おかげで、今では沖縄県庁専属の通訳だ。タルーは、ヤマト人と沖縄人の間を取り持つ崇高な仕事に携わっているのだと自負している。

「タルー、タルーはいるか? 通訳頼む!」

その日、タルーが出勤して席につくかつかぬかというときに、八重樫という顔なじみの若い巡査が駆け込んできた。

――そこは通りの真ん中だった。人だかりがしている。女の泣き叫ぶ声が響いてきた。タルーは八重樫とともに、野次馬の輪を壊して中に入った。 沖縄人の若い女が地面に倒れこんでいた。それを一人のヤマト巡査が蹴っている。そばには、鼻や唇から血を流した沖縄の若者が三人、倒れていた。女を助けようとして返り討ちにあったのだろう。

女は泣きながら訴えていた。お腹に赤ちゃんがいるんだよ、赤ちゃんが死んでしまう、蹴らないで。タルーは慌てて、女を蹴っている巡査に抱きついた。

「理由は知りませんが、この女性は身重の体です。暴力をふるうのはやめてください!」

タルーはヤマト人に初めて怒りを感じていた。全身が熱くなる。必死に感情を抑え込みながらヤマトグチを話すのは、もどかしく苛立たしいものだった。だが、その甲斐あってか、巡査は我に返ったように足を止めた。

タルーの通訳によって判明した「事件」の真相は、女と巡査が互いの言葉を理解できず誤解を招いた結果だった。

タルーの心境は複雑だった。ずっとヤマトと沖縄の懸け橋にならんとして通訳という仕事に邁進してきたのに、こんな気分になるのは初めてだった。ヤマト人は沖縄人をなんだと思っているのか……。

「タルー! 屋根裏部屋に隠れろ! 急げ!」

出勤するなり八重樫に腕をつかまれた。

「群衆がこちらに向かっている。昨日の女が流産したんだ。群衆は口をそろえて『琉球を裏切ったタルーを殺せ』と叫んで手に手に凶器を持ってこの県庁を目指している」

「そ、そんな……」

タルーは頭が混乱したまま、屋根裏部屋に匿われた。すでに、家族が怯えた目で身を寄せ合っていた。

やがて彼らの耳に、指笛を鳴らし『タルーを殺せ!』という怒鳴り声が重なり合って聞こえてきた。彼らは鬼神のように、県庁を守りかためていた警官隊を破って県庁内になだれこんできた。

「屋根裏だ!」

誰かが叫んだ。指笛を鳴らしながら階段を駆け上がってくる黒い力。群衆はタルーが止める間もなく、斧で彼のきょうだい達の首を叩き落とし、両親を棒で殴り殺した。タルーも棒で滅多打ちにされ、動けなくなった。ぼんやりとした視界の中に、ぎらりと光る鎌の光が五つ、六つ、見えた……。

「……ルー、タルー、大丈夫か?」

聞きなれた八重樫の心配そうな声に、タルーは目を覚ました。

「あ……八重樫さん……。ああ、夢か……」

タルーは布団の中で汗だくになっていた。そうだ、あの妊婦は駆け付けた医師の診断で、赤子も母体も無事だと確認されたのだった。彼女を蹴った巡査に、タルーは通訳しようとして、何度も拳を顔に食らった。が、口から血を吐きながら通訳を続けた。事情が分かると、巡査はなんと土下座をしたのだ。和解の風が吹いて、群衆は散って行ったのだった。

「君のお陰で丸くおさまったよ。大活躍だったな。とばっちりで顔が腫れちまったけど」

「いえ。大丈夫です、これくらい」

タルーは笑い返した。その拍子に腫れた頬がずきりと痛んだ。

今の夢……。

この仕事を続けていれば、いつか夢が現実になる日が来るのだろうか。いや、恐れるな。この様々な危険を孕(はら)んだ時代と真正面から取り組むのが俺の生き方なのだ。

八重樫が、新しい氷嚢を持って来てくれた。

(完)

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