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掌編小説/  雪解け

雪解け

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その日、私は傘を持って家を出ました。
私が嫁いで来たこの雪国では、雪がいくら降ろうと、傘などさすひとはまずいません。
ですから、白い雪に囲まれた中を、パールピンクの花柄をした傘が移動するさまは、地元のひとから見ると、おかしいというか珍しいようでした。
「誰かの頭にでもぶつかったら、危ないだろう。傘なんか置いて行けよ」 出がけに、夫はそう言って苦笑しました。
九州の大学で出会い、卒業後、一緒になった夫です。九州から雪国へ。両親は一人娘の私を、そんな遠くへ手放すなんて、と最初は反対していました。私に本格的な雪国の寒さが耐えられるのか、それも心配の種だったようです。

「悟志(さとし)さんは北国生まれなのに、どうしてわざわざ九州の大学に来たのかしらねえ」

母は、そう愚痴りました。でも、北国のひとが南国に憧れたり、反対に南国のひとが北国に憧れたりといったことは、少なくない例でした。私の友人の中にも、北国の大学へ進学したひとがおりました。
そんなこともあり、いえ、なによりも、悟志さんの誠実さと滅多に自分の意見を言わない私が、このひとの妻になって、彼の故郷で暮らしたいと強く言い募ったおかげで、両親もしぶしぶ、折れてくれました。

雪解け

初めて迎えた雪国の冬。マイナス20度を超す冷気としんしんと降り続く雪は、近所のコンビニへゆくわずか5分のあいだにも、私の体を芯から冷やしました。
特売のミルクを二本、りんごを三つ……。お手製のマイバッグには、毎日の食卓に欠かせないものが入っていました。片手で持つには少し重いかもしれません。
傘を広げ、コンビニの玄関から出ようとしたとき、不意に肩を軽く叩かれて、びっくりしました。
振り向くと、長い黒髪をした女性がにこにこ笑っていました。年齢は、20代後半くらいに見えました。私と同じくらい……。初めてお会いするかたでした。

「保村さんのところのセツコさん、でしょう?」

ずばりと言い当てられて、戸惑いました。どこかでお会いしたことがあったのでしょうか?

「会うのは初めてよ。私、中野雪江。あなたのお住まいの、まあ、近くといってもいいかしら。お隣の町内会なの。でも、おたくの町内会とは連合町内会になっているから、会員さんの出入りには詳しいのよ。あ、わたし、連合町内会の総務を任されてるの。子供もいないし、若いからって、押しつけられちゃった」

不思議なことに、私は初対面の中野雪江と名乗ったこの女性に、懐かしいものを感じました。ずっと昔からの知己のような……。彼女の人懐っこい性格のせいでしょうか。それとも……。

「セツコさん、急いでる? 時間があったら、お近づきの印に、ケーキセットでも食べない? 美味しい喫茶店があるのよ。それとも、日曜日だから保村さんがお昼ごはんを待っるかな?」

「あー、まだ10時ですし、ちょっとだけなら……」

 すっかり雪江さんのペースにはまってしまった私は、ケータイで夫に、「友達にばったり出くわしたから、少しだけお茶を飲んでから帰る」旨、話しました。
 ――へえ。セツコ、まだこの町にきて日が浅いのに、もうそんな親しい友達がいたのか。セツコは人見知りするから、友達が出来ないんじゃないかと、それが心配だったんだ。いいよ、ゆっくりしてこいよ。昼飯なら、おれ、残りものでチャーハンでもつくって食うからさ。ランチもしてきたらいいよ。

雪解け

夫の心遣いとは裏腹に、中野雪江さんと別れた私の足取りは、我ながら重く感じられました。

「……そういうわけだから、私は、あなたの旦那様とイワクがあるのよ。ずいぶん昔のことだから、彼のほうは忘れているかもしれないけれど。あなた、確かめたほうがいいわよ。彼が私のこと、覚えているかどうか。そう簡単に忘れられたら、私も立つ瀬がないしね」

そんなことを雪江さんは言ったのでした。
(私の口から確かめるなんて、できないわ)
私は、表面上は雪江さんの言葉に従うふりをしながら、心の中ではそう決心していました。悟志さんは私の夫。夫が昔のイワクになど、いつまでもこだわっているとは思いたくない。
(でも、私が確かめなければ、いずれ雪江さんが正面切って乗り込んでくるに違いないわ……)

「保村さんの奥さん! 吹雪いてきたよ! 早く家に帰ったほうがいい!」

不意にどこからか聞きなれた声がしました。お隣の岡部さんの奥様の声……。60代半ばで、ご主人と一緒に旅行にゆくのが楽しみという、気のいい女性。

気がつくと、いつの間にか目の先1メートルぐらいまでしか視界が利かなくなっていました。ぼうっとしていたので、傘もささずにいたので、すでに帽子の上にもコートの表面にも、雪が厚く貼りついています。慌てて傘を開こうにも、風が強く、かないませんでした。

「セツコーっ!!」

方向感覚を失った私の耳に、確かに夫の声が聞こえました。

「どっち見てるんだ、ここだよ。だいじょうぶか?」

いきなり後ろから肩をつかまれ、驚きのあまり小さな悲鳴をあげてしまいました。

「おいおい、おれだよ。自分の夫がわからないのか?」

悟志さんがジーンズの上にダウンジャケットを着込み首元に厳重にマフラーを巻いて、頭は毛糸の帽子をフードで包むという厳重装備で立っていました。

「急に天気が荒れてきたからさ。セツコ、九州の出身だからな。そりゃ九州でも雪は降るけど、こっちにくらべたら……。おれさあ、昔、こんな吹雪の日に……」

私はぞっとしました。夫は、十中八九「あの話」をしようとしているのです。

雪解け

「悟志さん、話は家に帰ってからにしましょう」

私は悟志さんの腕をとって、勢いよく一歩踏み出しました。そこで、滑って転んでしまいました。

「落ちつけよ。こんな雪の日は用心に用心を重ねて行かないと……。君には黙ってたけど、おれさ、祖父ちゃんを亡くしているんだよ、こんな吹雪の日に」

「駄目!」

私は手袋をはめた手で悟志さんの口をふさぎました。

夫は驚いた目をして私をみつめています。

「――君だったのか? あのときの雪女は?」

私の手の隙間から、夫の言葉が溢れ出てしまいました。

私は激しく首を左右に振りました。

「そうだよな。吹雪で方向感覚なくすドジな雪女がいるわけないか。なあ、聞いてくれ、セツコ。おれが小学二年のときだった。祖父ちゃん――母方の祖父ちゃんだが、祖父ちゃんはおれを連れて近所の公園に遊びに行った。大きな公園で、奥がちょっとした森のようになっている。そこで、唐突に天気が荒れだして、祖父ちゃんもおれも方向を見失った。まさかあんな近場で迷うなんてな。祖父ちゃんはおれを懐に抱いてくれた。もちろん、吹雪に対する備えなどしていない。おれたちは、どんどん体温を奪われた。遠のいてゆく意識の中、真っ白い着物を着た髪の長い女が現れたのを、おれは見た。祖父ちゃんは自分の命と引き換えに孫を助けて欲しいと嘆願し、雪女はそれを聞きいれた。そして、祖父ちゃんが冷たくなった後、雪女はおれに言ったんだ。今日見たことは誰にも話してはいけない。話せば、お前の命はないと」

「悟志さんの馬鹿! どうしてしゃべってしまったの!!」

私は半べそをかきながら、夫にしがみつきました。夫が出会った雪女は、あの中野雪江さんなのです。

 

「とうとう喋ったわね」

どこからか、中野雪江さんの声がしました。

「あのときから、おれをずっと見張っていたんだな。いつか、おれが口を滑らせるのを待って。どのみち、おれもあの世へ送ろうって考えていたんだろう」

「やめて、雪江さん! お願いよ! このひとは私の夫なのだから、今はもう『雪の一族』よ! 一族のあいだで秘密を打ち明け合ったって、どうということもないでしょう!」

私は夫を後ろにかばい、必死に勇気を奮い起して叫びました。

雪江さんの力のほうが強い。それは喫茶店で話をしているうちに感じていました。やはり、もともと北国で生まれ育った雪女と南の地で生を受けた雪女とでは、力に格段の差があるのです。

「同族の者を殺めたくはないけど、セツコさん。あなたが邪魔するっていうなら、あなたから……」

「見くびらないで! 私だって雪女よ!」

声が微かに震えてしまいました。一色触発の緊迫感に、私たちの周りだけ、雪の乱舞が止まりました。雪江さんはすでに洋服姿ではなく、本来の雪女の装束に身を整え、私の五、六メートル先にいました。

「待て、セツコ」

夫が、ずいと前に出て来ました。いったい、このひとはどうしてこうも落ち着いているのでしょう? 自分の命が危ないということや、妻が雪女であったということなどを、こんなに冷静に受け止めているなんて……。

「おれは、祖父ちゃんにすまないことをしたと悔やんでいる」

言いながら、夫は右手の手袋を脱ぎました。

「あんたが殺したのはおれの母方の祖父だった。もし、あれが父方の祖父だったら、あんた、今ここに居ないよ。あるいは、母方の祖父ちゃんだったにしても、おれが成人していれば……助けられたんだ、祖父ちゃんを。成人しなければ、おれたちは覚醒できない。そして、その血は、父方から受け継いだものだ」

夫は右の掌を大きく広げると、天に向けて突きあげました。

「我が祖先よ、我が身の内に宿りし力、今解放せんとするをお許し願う。眠れる炎の龍よ、いざ、我が右手を出口となし、我が敵を倒せ!」

夫の真赤に熱せられた右手が、雪江さんに向けられました。次の瞬間、夫の手から炎が――龍の形をした炎が、雪江さんめがけて駆けてゆきます。

雪江さんが、溶ける!

でも、雪江さんもそう簡単には溶かされません。さらに激しい吹雪を叩きつけてきました。炎の龍が雪の渦に巻き込まれます。

「やめて、やめて、ふたりとも!」

私はどうしていいかわからず、ただ、雪の一族の化身と炎の一族の化身のあいだに身を投げ出しました。

南国育ちの私には冷た過ぎる雪と、雪女には大敵の炎を浴びて、私は気を失いました。

雪解け

――相手が人間でないのなら、仕方がないわね。ここは今一度あの日のことを口止めして退散するわ。

――わかった。口外しないと誓おう。セツコの為にもな。

そんな会話を聞いた気がしました。

「セツコ、セツコ、おい、雪子(セツコ)」

夫に頬をつつかれ、私は我に返りました。

そこはコンビニの前。私は買い物を終えたときと同じ格好で、突っ立っていました。吹雪はやんでいます。中野雪江さんの姿はありません。

駐車場の向うの、除雪車が跳ねあげていった小さな雪山が、綺麗に消えているのが私の目を引きました。そこだけ、地面まで見えているのです。夫の「龍」が触れたのでしょう。

「安心しろ。中野雪江サンなら、自分の世界に帰ったよ」

私の顔に、不安の色が浮かんでいたらしく、夫はそう言いました。

「悟志さん……私……」

自分が人間でないことを隠していた。このひとに、大きな秘密を持ったまま嫁いでしまった。

「おれもさ、人間じゃないし。隠し事してたのは、お互い様。結婚して半年になるだろう、おれたち。学生時代に付き合っていた期間を入れると、一年半だ。そろそろお互いの距離を縮めてもいい頃じゃないか?」

「悟志さん……」

「サトシ、でいいよ。同い年なんだから」

「はい」

ぎこちなく頷く私に微笑みかけながら、夫は言いました。

「おれの正体疑ったこと、全然なかった? おれたちの苗字、保村だよ」

「あ……!」

保村……ほむら……炎(ほむら)……「炎の一族」……。

「さあ、帰ろう。荷物、持ってやるよ。特売の牛乳、重いだろ?」

笑いながら私の手からマイバッグを取ると、夫は……サトシは、家路へと歩き始めました。

(完)

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