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第二部 モラトリアム 〜商業捕鯨撤退までの経緯U |
1972年 アメリカ合衆国の動機 |
世界的謀略家・R.ワトソン登場 |
IWCの異常性 |
1974年 IWCの変質 |
「捕鯨の倫理」という奇論 |
第三部 対日包囲網〜商業捕鯨撤退までの経緯V |
嘘と沈黙 |
1982年 商業捕鯨モラトリアム可決 |
参考資料:主要鯨種解説 捕鯨年表 |
この年、国連人間環境会議で採択された「商業捕鯨10年間凍結案」はベトナム戦争の批判、特に枯れ葉材剤の大量散布が発覚したことへの世界的非難が集中し国際世論の中で窮地に立たされていたアメリカの、まさにウルトラCの世論操作であった。 東西冷戦構造下での明らかな侵略戦争(米傀儡政権樹立以来)であったこの戦争のなかで、無差別大量虐殺であった北爆とともに大規模環境破壊の側面からも指摘されていた枯れ葉剤の使用は、水産業の一部門であるところの捕鯨(この時点での南氷洋出漁国はソ連と日本のみ)と同じレベル(もしくはそれ以上の犯罪性)で語られるべきであると誘導されてしまった(西側)「世論」とはいったいなんであったのだろうか。 『捕鯨の凍結案が討議されたこの日、ストックホルムの市内では、アメリカ、カナダ、スウェーデンなどの環境保護団体が、捕鯨反対を叫んでデモ行進した。デモには、アメリカ政府代表の環境問題詰問委員会委員長ラッセル・トレイン氏も参加した。ベトナム戦争の責任を追求され、国際世論の批判に直面しているアメリカ政府は、その矛先を捕鯨問題でかわそうとした計算も働いてはいたが、国際会議場の内と外とで政府と住民が呼応して捕鯨問題を盛り上げてゆく戦略は、これからの環境外交のあり方を予告しているように思われた』(『戦後世界史の断面』木原啓吉・千葉大学教授)
当時のニクソン大統領はこの会議がアメリカ批判(ベトナム戦争・枯れ葉剤批判)の集会になってしまうことを恐れ、また、間近に控えた大統領選挙での対立候補に勝つために大選挙区のカリフォルニア州の票固めを狙って、反捕鯨運動の旗手・マッキンタイヤー女史と手を組み、「環境破壊をしているのは我々アメリカ政府だけではない。逆に現政府はクジラを救うなど、環境保護について貢献している。」というイメージを内外に示す作戦に出たという背景もあったという。
「クジラは絶滅に瀕した地球最大の哺乳動物である。このクジラ一頭を守ることが出来なくて、どうして地球と人類を守れるか。」という苦しい観念論的主張は、環境保護運動の対象を、重化学工業や戦争から、捕鯨に矛先を変えさせた。 クジラは環境保護のシンボルに祭り上げられ、「大量消費文明に首まで漬かった生活を享受しているが、さしあたりクジラは食べない人々」の贖罪意識に大いに訴えた。「アメリカの正義」を信じる選挙民たち(そして環境保護団体のありがたい資金調達源たち)の多くは、自動車で外出しビーフステーキやフライドチキンを食べ戦争継続中の政府の支持に一票を投じながら、可哀相なクジラたちのために清い涙を流した。
アメリカの外交力は、捕鯨禁止に反対するカナダ、ノルウェー、アイスランド、ブラジル、イギリスなどの国々を一夜にして説得することに成功し、参加国130カ国中54カ国の賛成(反対3:日本・ポルトガル・南ア、他は棄権)をもって、この会議に「商業捕鯨の10年間禁止決議」を可決させることに成功した。
この年アメリカは「海獣保護条例」を制定。 イヌイットなど少数民族の生活維持のための食肉や民芸品造り以外の目的での海獣類の捕獲を禁止した。 この国内条例はIWCのその後の運営にも影響を与えた。 国連人間環境会議の10日後に開かれたIWC年次総会では、国連人間環境会議の採択を受けて商業捕鯨凍結案が討議されたが、もともと科学的正当性の無いこの提案は否決された。
商業捕鯨10年間凍結案(モラトリアム)は1973年も提案されたが、IWC科学委員会の学者たちには、いったいなにを言っているのか理解できなかった。 この時点では否決されたが、専門機関であるIWCに対して介入してきたそれは、示すべき根拠もその意志も持たない素人たちのアピールであり、頭ごなしに現れた政治力であった。
IWCで二度に渡ってモラトリアム提案が相手にされなかったアメリカは、1974年の総会に向けて科学委員会を操作する作戦を始める。 反捕鯨の立場をとる加盟国から派遣されていた科学者たちのほとんど総入れ替えに近い交代を行い、事実を探求する姿勢を持つ純然たる鯨類学者たちの替わりに、保護主義的色彩の濃い科学者、反捕鯨団体のリーダーたちを科学委員会に大量に送りこんだ。 この結果導入された「新管理方式」と言われる資源管理理論には、実は裏があった。
当初採用された一般的な資源管理方式 一般に海洋生物資源は人類が利用しない状態において均衡を保つ。
人間が資源を活用し始めると資源は減るが、回復力が生じ、死んだ数を上回る出生数によって資源量は補填される。
これが持続的生産量(Sustainable Yield:SY)である。左図 A: 最初の資源量 B: MSYレベルの資源量持続的生産量が最大に達すると資源量は減り始め、資源がゼロになると持続的生産量も無くなってしまう。そのピークの状態が
最大持続生産量(Maximum Sustainable Yield:MSY)である。
再生産力が最大:MSYの水準に資源を保つことが最も効率の良い資源利用法である。1974年IWCで採択された新管理方式 ここでは鯨類資源を3つに分類している。
@ 初期管理資源:未開発または満限状態にある資源。 捕獲はMSYの60%の線に近づける方向で認める。 A 維持管理資源:現在MSYレベルの前後の水準の資源。 捕獲は資源をMSYに維持する方向で認める。 B 保護資源:維持管理資源より低い水準の資源。 捕獲を一切認めない。
そしてMSYを初期資源量の50%(過去の知見から合意されている一般的な値)から、60%へ引き上げ、さらに初期管理資源の捕獲頭数はMSYの90%以下に、また、MSYを割った資源の捕獲をゼロとした。上記の新管理方式は一見、科学的に構築されているように見えるが、これは従来の資源管理方式と比べると、まず、
MSYを超える資源を間引いて、再生産力が最大かつ利用効率最大の水準:MSYになるまで管理的に利用する、ということを認めていない。 また、MSYを割った資源は増加頭数内で利用を図りながらMSYに近づけていけばよかったところ、SYに関わらずゼロとしている。 さらに、MSYを従来設定していた満限状態(飽和状態)の50%から60%に引き上げたことと、捕獲枠をMSYの90%にしぼったこと。 実際には両方とも明確な科学的根拠は無いのだが、出来るだけ多くの 鯨種を保護資源に当てはめるための方法なのであり、これは資源管理ではなく、恣意的に保護の方向へ方針を打ち出している。
科学委員会が科学的資源管理から、一つの方向性(反捕鯨)に向いたことはIWCの運営上、大きな転換点となった。もはやIWC:国際捕鯨委員会、すなわち、国際捕鯨取締条約の目的「鯨資源の保存と有効な利用、捕鯨産業の秩序ある発展を図る」ことを守る機関としての目的が変質してしまったのである。
これ以降のIWCは謀略とも言える政治工作の場となっていった。科学的根拠のない無理な理屈で管理方式を骨抜きにし、非捕鯨国を引き込む多数派工作によって商業捕鯨の禁止へと押し切ろうという戦術が開始されていった。
国連人間環境会議は環境問題に対する世界的な議論を巻き起こしたが、そのシンボルに選ばれたのは、重化学工業や戦争による環境破壊に対する反対姿勢ではなく、クジラであった。
人々は大量消費生活が自然環境を破壊し、それはすなわち我々人類の首を絞める結果となること、特に経済的弱者や次世代を担うべき子供達から未来を奪い、死、もしくは死に等しい苦痛を与えることに気がついているだろう。 しかし、自然科学、そして社会科学的根拠を絶対的な指標とした規制:国際的な条約の締結と運営がなされなければ世界人類の全ての生産活動に関わる、この問題の解決に向かって前進することは出来無い。
電気やガソリン、化学製品や、環境を大量破壊しながら生産された食肉や穀物、さらに工業的に生産された医薬品や高度に発展した医療による平均寿命の延長など、我々は文明の恩恵を受けている。
しかし、このまま自然環境を破壊し続けていけば、未来の破局は確実に予想される。 複雑に入り組んだ環境破壊問題を解決するために、人類は英知をふり絞って考えて行かなくてはならない。 全人類等しく、自分自身のこととして問題を捕らえていかなければならない。 高度な消費生活を送る先進工業国に暮らす人々は、特に自ら反省が必要であるだろう。
国家は自国の利権を守ろうと、企業は利潤を追求しようと、そして個人は多くの場合自分の幸福を追求することを大事にしている。 自分の今、享受している権利を減らして環境保護を目指すよりは、誰か知らない人間(日本人)に殺されている可哀相なクジラたちを助けることの方を、真っ先に取り組む対象にしたいのだろう。 そして、それで満足してしまって、自らを省みることは、たぶん一生、ないのだ。
環境保護に取り組まなければ、という正義感と、自分の便利で快適な大量消費生活との間の葛藤は、こうして丸く収まってしまう。 でも、それは全て嘘だ。
さらに、クジラの保護を訴える人々のなかには、理性的には想像しにくいことだが、全ての合理性から目を背けて「かわいいクジラを殺して食べるなんて許せない」と、ただ、主張し続ける人々も存在する。
クジラが環境保護のシンボルであるなら、それを守るアメリカは「世界の警察」として振る舞うことを続けるためにも、面子をかけて捕鯨国・日本を叩かなくてはならなかったようだ。
1972年の国連人間環境会議以降、IWCには捕鯨とはおよそ関係のない新興国が次々と加盟し始めていた。 セイシェル、セントルシア、セントビンセント、アンチグァ・バブーダといった国々だが、独立したばかりのこれらの国々が送り込んできた代表は、国籍を持たずに活動する反捕鯨運動家たちであった。 それら新興国家群が国際会議での一票を、自分たちの意志ではなく、外国からやってきた反捕鯨ゴロたちに使われてまで、IWC加盟国として名前を貸さなければならなかった理由は、超大国アメリカと、アメリカ人相手の観光資源に頼らなければならないカリブの小国との力関係から、考えるまでもないだろう。
行政機構の不備に乗じてそれらの国々の代表団に収まったプロ活動家のなかで、代表格が、R.ワトソンである。R.ワトソン:国籍不明だが、イギリス人とも言われる。医者、科学者、哲学者などの肩書きを持ち、SF小説を書き、大本教の研究のために日本にも一年滞在したことがある。 著書の『生命潮流』は世界各国で翻訳、出版された、エコロジー運動のカリスマである。 イラン王室と深い関係を持ち、パーレビー国王の弟の資産をファンド化した財団の事務局長をしていたことから、イラン革命後、セイシェルに移った財団の縁で、セイシェルのIWC加盟と、自分がその代表団に収まることが出来たようだ。
捕鯨とは無関係の新興国家群の加盟による多数派工作の先駆けとなったセイシェルの、その代表にワトソンが収まっているのを見て日本代表団は驚いた。
ワトソンは独自のカリスマ性で反捕鯨活動を精力的に組織していった。 三人委員会のFAO(国連食料農業機関)代表であったS.ホルト(科学者の倫理からは考えがたい程の、事実と異なる数字を発表し続けていた反捕鯨御用学者として有名)を顧問に据え、イギリスの反捕鯨団体などとも連帯していく。 1979/1980年漁期からのインド洋クジラサンクチュアリー(聖域化)を根拠のないまま提案、可決させ、科学的調査の後に資源量評価を行うという条件を反故にしつづけた。
ワトソンはクジラの知能の優秀性、クジラを殺すことの残酷さを説き、「捕鯨は倫理に反する」という理論を展開した。本来、倫理とは人間が、人としてのあり方を考えるときの言葉であり、食料生産のための捕殺に倫理を持ち出すなど理解に苦しむが、さらにはこの理論は菜食主義者のための理論ではなく、対象がクジラであるからというものであるのだ。
クジラの知性については現在の科学では、牛と同程度であるとされているのだが、もし仮に特別に知能が高い動物であったとしても「知能が高いから殺してはならない」また逆に「知能が低いから殺してもいい」という理論はかつてナチス・ドイツのヒットラーらが展開した「優生論」と本質を同じくするものだろう。 「知能が高くても低くても、利用すべき資源であるから捕殺する」というのが正しい考え方ではないのか。
ワトソンが科学者や理論的な思考をする(普通の)人々から見れば理解に苦しむ理論を展開しても、それを支持する人たちがいたのも事実である。 今でも私たちは、牛肉は食べるけどクジラを殺すのは許せないとか、クジラは心の優しい動物である、などという意見にはなんと反論してよいのか困ってしまうが、世界の反捕鯨運動をリードしていったワトソンは他にも奇妙なことを言っていたようである。
例えば、ワトソンは熱烈なマッコウクジラの愛好家で、日本の代表をつとめた米沢邦男氏に、「マッコウ捕鯨をやめるなら日本のミンク捕鯨を認める」と働きかけたこともあるという。
非捕鯨国、非漁業国のIWCへの取り込みは急ピッチで進められ、国連人間環境会議の行われた1972以降の10年間で新規加盟国は25ヶ国に及んだ。そのうち20ヶ国が明確な反捕鯨国である。 この工作はアメリカ政府やワトソンたちだけではなく、環境保護団体・グリーンピースも大きく関わっている。 マイアミあたりに集まっていた国籍、経歴不明の「運動家」たちが新興諸国に入り込み、代表団を構成していった。
多数派工作と同時に、「捕鯨の倫理」論や感情論を世界に働きかける活動も進められていた。 1980年2月29日、長崎県の壱岐島でブリ漁に対する漁業被害対策で入り江に囲われていた300頭のイルカをアメリカの保護団体「動物資金協会」メンバーの元高校教師D.ケイトが網を切って逃がすという事件が起きた。 犯人は待機していた妻に予定通り連絡し、東京の米国通信社へ連絡、さらにアメリカ領事館に身柄の保護を要請した。 彼は地検の略式裁判を受け入れず、公判を要求。 威力業務妨害で有罪となったが(執行猶予で国外追放)公判中、計画通りイルカが人間と平等の権利を持つことを主張、事件は世界中に報道され、目的を果たした。 この事件は実は二ヶ月後ワシントンのスミソニアン研究所で開かれた「クジラ捕殺の倫理」の会議のデモンストレーションであり、この会議の資料にはケイトの「鯨類の権利の訴え」が入っていた。
この会議自体、あまりに荒唐無稽なので無視せよとの意見もあったが、日本は反論のために代表団を送っていた。 会議の提案者はワトソン。 「我々は今まさに新しい倫理を形成しようとしている」との宣言にはじまり、反捕鯨諸国や保護団体の代表たちが、クジラは知能が高いとか、だから殺すのは残酷だ、などの意見を説いた。 日本側の反論は一貫して理論的なもので、「捕鯨の倫理をなぜ討議する必要があるのか理解に苦しむ。ヒンズー社会では牛を神聖とし、イスラム社会では豚肉をタブーとし、ヨーロッパのキツネ狩りは日本では罪とされる。 クジラは日本では海の幸として食文化の中に入っている。ある人種には基準になっても他の人種には受け入れられない基準もあるから、全人類に共通する倫理基準を設定するという考えは受け入れられない」(東海大学教授・市原忠義氏)
「なぜ人間とクジラの間にだけ民族の食習慣、宗教、文化を超越した国際倫理を確立する必要があるのか。 捕鯨を天職としている人たちに対し『捕鯨は倫理に反する』ということばを向けることこそ、倫理に背く姿勢ではないか」
(評論家・清宮龍氏)と、徹底的に反論した。
米沢邦男氏の 「倫理という個人の問題を票決できめてよいのか。これは全体主義のやり方である。日本では倫理はあくまで個人の問題で、国や団体が干渉してはならないものになっている。まして国家がほかの主権国家に倫理を押しつけることはできない」
との発言に、ワトソンらは反論出来ず、このシンポジウムの2回目の開催は中止となった。倫理を説く反捕鯨運動家ではあったが、民主主義を踏みにじる異文化の排除や人種差別が根底にあるのもこの運動の一面である。 南氷洋捕鯨はこの時点で日本の他にソ連もおこなっており、さらにミンククジラが良好な資源状態にあることを否定出来なくなる以前には盛んに叫ばれていた「クジラは絶滅に瀕している」理論からすれば真っ先に守るべきホッキョククジラ(大型鯨で最も資源水準が低い) の捕鯨をおこなっているアラスカのイヌイットたちもいるのだが、攻撃対象は常に日本人である。 「地球の友」やグリーンピースは再三日本製品のボイコットを呼びかけ、米沢邦男代表は赤いペンキを浴びせかけられたり、ロンドンの会議開催中にトラファルガー広場の集会では、胸に日の丸を付けメガネをかけた人形が首吊りにされ、日本の国旗が焼かれた。
コペンハーゲンの日本大使館に反捕鯨活動家が乱入する事件などもあったが、民主主義を暴力で脅かすことが倫理に反してはいないのだろうか。
1972年の国連人間環境会議以降アメリカ主導の反捕鯨の動きは、まずクジラの資源量についての評価から始まった。 しかし、過去にIWCが行ってきた捕獲頭数規制と違い、1974年の新管理方式導入後は「持続的利用のための捕獲頭数算出」ではなく、「クジラは絶滅に瀕しているのに違いないから、それを証明する」姿勢であった。 だが、頭数と自然増加率から算出されるSY:持続的生産量であるから、ミンククジラやニタリクジラのような良好な資源状態を持つ種についてはどのようなトリックを駆使しても資源保護の側面から捕獲禁止の根拠を出すことは出来なかった。
次に、捕鯨条約第10条の不備を突いた非捕鯨・新興独立国の大量加盟の工作による議決票数獲得と「捕鯨の倫理」などの誤魔化しの理屈や過激な運動家の演出による、日本人の捕鯨への非難誘導という作戦を進めてきたのだが、国連人間環境会議以降10年目にして悲願の成る日が来た。
1982年7月。イギリスのブライトンで開かれたIWC年次総会の開催時までに反捕鯨陣営が集めた票は27に達し、モラトリアムを通過させる必要数(付表の修正に必要な3/4の賛成票)をクリアーしていた。
会議の3日目にはアンチグァ・バブーダが駆け込み参加。 本会議に先立って開かれた科学委員会では、ホルト、D.チャップマン(ワシントン大学教授:三人委員会メンバー)たち反捕鯨学者が捕鯨全面禁止に同調を求めたが、全ての鯨種を系統群ごとに管理しているのに全面禁止は不要という意見が体勢を占め、科学委員会からの勧告に取り入れることは却下された。 反捕鯨国が揃えた保護主義的な学者たちでも、科学的根拠そのものがいらない、という結論の出し方を受け入れることができなかったのだろう。
FAO(国連食料農業機関)はこの頃、「モラトリアムには科学的根拠がない。またクジラの知識が不確実だと反捕鯨国は言うが、これもモラトリアムの理由にはならない。 なぜならばいまの捕鯨は小規模であり、資源の動向を慎重に監視しながら捕鯨をしているからである。」 という異例の見解を表明している。
米、英、仏、豪、セイシェルの5ヶ国によるモラトリアム即時実施の決議案は、しかし科学委員会で否定されたことと、反捕鯨国の中にもあまりのやりかたに反対にまわる動きが出たのを見て、反捕鯨国の足並みの乱れにより好機を逃すことをおそれたワトソンが実施時期を延ばすなどの修正案を作成した。南氷洋母船式捕鯨(この時点ではミンククジラのみが最後の捕鯨の対象として認められていた)は1985年漁期からの5年間全面禁止。
沿岸捕鯨(この時点での対象はミンククジラの他、ニタリクジラ、マッコウクジラ)の1986年からの5年間捕獲禁止。
ただし最良の科学的助言に基づく検討により、遅くとも1990年までに資源の包括評価を行い、モラトリアムの修正について検討する。
ワトソンは1979/1980年漁期からのインド洋クジラサンクチュアリー(聖域化)を根拠のないまま提案、可決させ、科学的調査の後に資源量評価を行うという条件を反故にし続けてきた過去の実績がある。 このモラトリアムの見直しの事項もいずれ同じように葬れると踏んでいたのだろう。そして、実際、1990年を過ぎ、ミンククジラの資源の豊富さと頑健性について科学委員会で合意がなされて後も、このモラトリアムは解除されていない。
午後7時、議長のイグレシアス(アルゼンチン)がセイシェル案を読み、採択に入ろうとしたとき日本代表の米沢邦男氏が発言した様子は、理不尽なこの決議に対する最後の反論、悲痛な叫びであり、捕鯨に関わる全ての人々の代弁であった。
「皆さんはこれからモラトリアムの採択に移ろうとしている。その前にもう一度考えてほしい。科学委員会はモラトリアムの勧告を出しただろうか。モラトリアムが資源保存のために必要であるといっているだろうか。そのような事実はない。モラトリアムは科学的な要件によってのみ、本会議で検討することになっている。その条件が備わっていないのに、モラトリアムを採択することは、この委員会が拠って立っている国際捕鯨取締条約に違反することになる。 皆さんは、これから条約に違反することを行おうとしている。FAOの見解を皆さんはご存じのはずだ。モラトリアムには科学的根拠がない。度の過ぎた管理を警告さえしているではないか。もう一度繰り返したい。皆さんは条約違反をしようとしている。それでよいのか。慎重に考えた上で採択してもらいたい。」
会場は水を打ったように静まり返った。
そのなかでワトソンが「いまや反捕鯨は世界の声だ!」と声をあげ、投票を促した。
賛成25 反対7 棄権5 可決
参考資料:モラトリアム決議 〈日本捕鯨協会のサイトより〉
捕鯨国のスペインがモラトリアム賛成、チリが棄権となったのは「今年から獲らせない」という反捕鯨国の恫喝に屈したためである。
1949〜1960
南極海の捕獲枠の国別割当制度実施。ザトウクジラやシロナガスクジラの捕獲禁止措置。 72年、国際監視員制度開始。同年、国連人間環境会議で商業捕鯨のモラトリアムが採択されるが、IWC年次総会では科学的正当性がなく否決。
82年、4分の1となった捕鯨国は、ついに 商業捕鯨のモラトリアムを採択されてしまう。
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| 国名 | 加盟年月 | 投票 | 国名 | 加盟年月 | 投票 | 国名 | 加盟年月 | 投票 |
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1 アイスランド
2 イギリス 3 アメリカ 4 オーストラリア 5 南アフリカ 6 ソ連 7 フランス 8 メキシコ 9 デンマーク 10 日本 11 アルゼンチン 12 ノルウェー 13 オランダ |
1947・ 3
1947・ 6 1947・ 7 1947・12 1948・ 5 1948・ 9 1948・12 1949・ 6 1950・ 5 1951・ 4 1960・ 5 1960・ 9 1962・ 5 |
×
○ ○ ○ △ × ○ ○ ○ × ○ × ○ |
14 ブラジル
15 ニュージーランド 16 韓国 17 セイシェル 18 スウェーデン 19 ペルー 20 チリ 21 スペイン 22 スイス 23 オマーン 24 中国 25 インド 26 セントルシア |
1974・ 1
1976・ 6 1978・12 1979・ 3 1979・ 6 1979・ 6 1979・ 7 1979・ 7 1980・ 5 1980・ 7 1980・ 9 1981・ 3 1981・ 6 |
×
○ × ○ ○ × △ ○ △ ○ △ ○ ○ |
27 ドミニカ
28 ジャマイカ 29 ウルグアイ 30 セントビンセント 31 コスタリカ 32 フィリピン 33 エジプト 34 ケニア 35 モナコ 36 西ドイツ 37 ベリーズ 38 セネガル 39 アンチグァ・バブーダ |
1981・ 7
1981・ 7 1981・ 7 1981・ 7 1981・ 7 1981・ 8 1981・ 9 1981・12 1982・ 3 1982・ 7 1982・ 7 1982・ 7 1982・ 7 |
欠
欠 ○ ○ ○ △ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ |
○賛成 ×反対 △棄権。欠席二カ国を除く39番目のアンチグァ・バブーダまでが投票。
日本捕鯨協会はこの決議について、以下のように分析、指摘している。
- IWCの準拠している国際捕鯨取締条約は、鯨類を人類が利用すべき再生産可能な生物資源であるとの大前提に立ち、鯨資源の適切な保存と有効利用を通じ、捕鯨業の健全な発展を図ることを基本目的としている。 (中略)今回の決議は、上述した捕鯨取締条約の目的と精神を不当に歪曲、無視したもので何ら科学的根拠を有しない。
- IWC科学委員会がなんら商業捕鯨全面禁止を勧告していないのに、多数派の反捕鯨国側は強引に総会で決議に持ち込んだ。
- 「全面的なモラトリアムは全く科学的正当性が無いように思われる」「捕鯨の全面的禁止の根拠は美的もしくは倫理的な基盤より出てくるものであろうが、これはIWCの権限外のことであろうと思われる」と国連食料農業機構(FAO)も批判している。
- 環境保護団体は年々IWC会議への干渉を強めてきている。各国代表の発言を牽制(中略)、捕鯨国に協力する代表への会議場での干渉(中略)、各国の有力者を通じての代表の罷免など直接・間接に圧力をかけている。
日本政府はこの年の11月2日の閣議で条約で認められている「異議申し立て」を行うことを決定。同じく捕鯨国のノルウェー、ペルー、ソ連、アイスランドもそれぞれ権利の行使を表明した。
謀略により追い込まれた異常な事態に対して、捕鯨国に残された最後の道はこの異議申し立てしかなかった。
第三部 対日包囲網〜商業捕鯨撤退までの経緯V へつづく
参考資料:主要鯨種解説 捕鯨年表